
VOL. 23
釜谷 勝則さん&エリさん
地区:加美区奥豊部
今回は多可町に生まれ育った男性と、お隣の西脇市から嫁いでこられた女性の、いわば“地元ご夫婦”の物語をお届けします。ネイティブな多可町っ子が語るこの町での暮らし、楽しさとは。嫁いでさらに知ったこのまちの景色、良さとは。笑顔あふれるインタビューとなりました。(R3.7.4)
勝則さん(会社員)
エリさん(パートタイマー)
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学校嫌い、友達大好き。村中が庭だった少年時代
勝則さん:釜谷の家は、何代も前から多可町の奥豊部で暮らしてきました。僕もここで生まれここで育ち、進学や就職の際に多可町を出ようと思えば出られたのかもしれませんが、特に出たいという願望を抱くことなくこれまで暮らしています。
子どもの頃はただ学校が嫌いで、体温計を温めたり、トイレにこもったりして、仮病を使ってでもどうにか学校をさぼりたいと毎日考えていました。
学校にはほとんど行きませんでしたが、近所の子どもたちと遊ぶのは大好きで、みんなが学校から帰ってきたのを見つけるとワクワクして家を飛び出し、毎日みんなと遊んでいました。
昔は奥豊部だけでもサッカーの試合ができるほど子どもは多かったんで、村のグラウンドでサッカーや野球をしたり、村全体を使って追いかけっこやかくれんぼをしたりしていました。当時は人の家の中に隠れていても誰も何も言わなかったですね。「あ、かっちゃん、またおるわ」みたいな感じです。日が暮れるまで村中を駆け回っていた毎日でした。
中学になってもまだ学校には行きたくなくて、でも塾には行っていたから勉強はむしろできたほうで、得意科目なら全国模試で1位をとったりもしていました。やればできる子、でも「やれ」と言われたことができない子。だけどうまくは生きていけている子、そのまま高校生になり、必要最低限の日数だけは通いました。
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学校大好き、友達大好き。人のお世話も大好き少女
エリさん:私は西脇市で生まれ育ちました。西脇も端っこのほうなので、雰囲気は多可町とそう変わりないと思っています。家の周りは田んぼだらけです。
私はかっちゃん(夫)とは逆で学校大好き。少しくらい熱があっても学校に行きたい子でした。
学校から帰ったら友達のおばあちゃんとよもぎを摘んで団子を作ったり、つくしの佃煮を作ったりもしていました。めっちゃ田舎育ちですよね(笑)。
中学でソフトテニス部に入り、高校ではソフトテニス部の、プレイヤーではなくマネージャーをしていました。人のために働くことに憧れたんです。いろんなところに試合に行って、スコアを書くのは楽しかったですね。
そう、中学のときに多可町の加美中学校に試合に来たことがあって、その通り道で見た加美区丹治(たんじ)の景色があまりにきれいでビックリしたのを覚えています。緑豊かな自然に霧が立ち込めていて、『もののけ姫』に出てくるような場所だと見とれました。西脇からほんの30分でこんなにキレイな風景に出会えるんだと感動したんです。
勝則さん:エリ(妻)がよく今も「景色がきれい」と、多可町のいろいろなところを見ては感激するのですが、僕はこの風景が小さい頃から当たり前すぎて、それほど素晴らしいものだとは気づけていなかったように思います。
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多可町の青春
勝則さん:僕は中学の頃は料理の道に進みたくて、高校の頃は「発明家」になりたいと思っていました(笑)。普通の仕事には就きたくなかったんです。でも結局は普通に就職をすることにし、高校に届いていた求人票の中から資本金が一番高い企業を選びました。今もそこに勤めています。
エリさん:私は美容系に進みたいと考えていて、高校から体験研修も受けに行かせてもらいました。ただ、そのまま進んでしまったら、勤務地が大阪市内だったのでかっちゃんとの結婚はなかったかもしれません。私たち、私が高2の頃から付き合っているんです。
実は、かっちゃんの弟と私は西脇の高校の同級生。同じテニス部でした。そういう関係で私たちは知り合いました。
西脇の高校には多可町から通ってくる人も多くいますので、高校生になると西脇・多可間の行き来が多くなります。私もそう。特に多可町のお祭りが好きでよく行きました。夏には大きな花火が上がるお祭りがあるし、八朔まつりもあるし、秋にはこんぴら祭り、友達と出かけるのを楽しみにしていました。逆に、西脇のお祭りには多可町の友達も来てくれます。
勝則さん:八朔まつりにもこんぴらさんにも「バンド」が出るんです。高校の友達のバンドを見に行けるのも楽しかったですね。屋台を見て回るだけでもワクワクしたし。
エリさん:本当に楽しかった。私たちの青春でした。
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街と田舎
エリさん:かっちゃんが21歳の誕生日に私たちは結婚しました。多可町の「エーデルささゆり」のチャペルで。私は19歳でした。結婚=夫のおじいちゃん・おばあちゃんとの同居というスタイルが決まっていました。
「なんでわざわざ田舎に行くの?」と、友達に言われたりもしましたが、そもそも私自身、都会に出たいタイプではなかったし、実家でも祖母と同居していましたし、かっちゃんは家を出ないと言っていましたから、ここで暮らす以外の選択肢は私にはありませんでした。
勝則さん:結婚が理由ではなくて、ちょうどこの家のリフォームも済ませていたところだったので、しかも、その費用は僕が出していたので、僕にしてもここで暮らす以外の選択肢はありませんでしたね。
エリさん:西脇に住んでいた頃から大きなショッピングモールに行くことはあまりありませんでしたから、買い物一つにしても多可町で暮らしていくことに不便さは感じていませんでした。私は田舎で暮らすよりむしろ都会で暮らすほうが怖いんです。
というのも以前、美容の体験研修で大阪市内のアパートに3日間だけでしたが滞在したとき、会社が用意してくれたアパートがすごく狭くて驚いたことがあるんです。息苦しくなるその狭さは恐怖でした。せめて窓を開けたときに大阪の景色でも見えればいいんでしょうけれど、窓を開けたら目の前は隣のビルの壁で、他に何も見えません。薄い壁1枚隔てた先に知らない人が暮らす住環境、都会の暮らしはそういうものだという感覚に慣れてしまえば住めるのかもしれませんが、たった3日ではとても慣れるところまでいきませんでした。
でも、遊びにいくところとしては都会も好きなんです。土日、デートでよく映画や買い物に神戸に車で連れて行ってもらっていました。
勝則さん:多可町は夜になったらお店は閉まっていますが、神戸なら開いていますからね(笑)。
エリさん:結婚してからもコロナ渦になる前までは、2カ月に1度くらいは家族で神戸によく行っていました。子どもがまだ小さいときは水族館や動物園にも行ったし、街遊びは好きです。多可町からそう遠くはないですし。
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このまちは自分のもの 人に“良さ”を伝えたくなる“自分のもの”
勝則さん:僕はずっと多可町で育ってきたから、このまちの環境が当たり前すぎて、「ここが好き!」という感覚を特に今も持ってはいないんですが、多可町を知らない人に多可町のことを話すときは「めっちゃエエとこやで!」って紹介したりするんですよね(笑)。
以前旅行で、露天風呂で一緒になった人たちと「どこから来られたんですか?」という話になって、僕は多可町の良さをもう力説しまくったんです。
見ず知らずだったその人たちが本当に多可町に来てくれることになったので、エリと「最高の多可町ツアー」を必死で考えて彼らを招きました。
杉原紙の和紙づくりを体験してもらって、漉いた紙が乾燥するまで青玉神社に行って樹齢何百年の大杉を見て、紙ができたら書家のごとうみのるさんのところに行って、自分たちで漉いた紙にいい言葉を書いてもらって、百日どりと播州ラーメンを食べて、泊まりはチャッタナの森のコテージがいいな…っていうプラン。
エリさん:カレー屋さんもできたしそこにも行く?とかね(笑)。
勝則さん:多可町ツアーは何回かしたよな。僕にとってはこのまちは自分のもの。人に“良さ”を伝えたくなる、“自分のもの”なんです。
エリさん:私が思う多可町の良さは、まずは子育てサービスの手厚さですね。うちの子どもたちがまだ幼いとき、しっかり先生たちがついていてくれている、見守ってくれているという実感がとてもうれしかったです。今は子ども人口が減って寂しくなってしまっているから、もっとまちを盛り上げて、子育てのしやすさをアピールできたらいいなと思います。
それと「景色」。千ヶ峰の頂上から見る多可のまち。私は多分、4時間でも5時間でも見ていられます。雲が流れて光の加減も変化して、ずっと見ていても飽きることはありません。
そして、どこの景色が素敵と限定しなくても、たとえば家の中にいても、夏の雲が流れていく様子だったり、秋の夕焼けに染まる田んぼが窓から見えたり、雪が降ったら一面真っ白だし、日常的に見る景色にずっと感激しています。
勝則さん:僕は景色がきれいという感覚を長く知らずにいたのですが、エリにその良さに気づかせてもらいました。
エリが千ヶ峰登山をしたいって言い出したとき「えーっ、早起きしてしんどい思いすんのぉ?」ってはじめは正直思いましたが、最近はその良さがわかってきて僕も本気で楽しくなってきました。今では家族でよく千ヶ峰に登ります。
あと、多可町の良さとして、食べ物では絶対「百日どり」。このおいしさを知ったら鶏肉は「百日どり」しか食えん。それくらい好きです。わが家には結婚当初から継ぎ足し継ぎ足しをして、絶品になった秘伝(?)の焼き鳥のたれがあるのですが、これを使って家の敷地でするバーベキューは最高です。家族や友人と夕焼けを見ながら楽しんで、花火もできるし、騒いでも大丈夫だし。
エリさん:神戸にいとこがいるんですが、そういう楽しみ方をめっちゃ羨ましがられます。さらに、「きれいな川がある、自然に囲まれた広い敷地の家がある、雪景色は美し過ぎる、最高やな」って。
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自慢の工房
勝則さん:僕が景色の良さ、登山の楽しさをわかるようになったのには妻に感化されただけでなく、「花」や「グリーン」が好きになったからという理由も実はあります。
結婚当初に買った「多肉植物」があって、ずっと何年もほったらかしていてその存在すら忘れていたのですが、家の間取りを変えようとしたときにそれが生きたままで出てきたんです。生きていたんならこれからも長生きさせてやりたくなって世話をし出しました。
せっかくだから花壇もやってみようかと、花も育ててみたらおもしろいんですよね。ここにどんな花を植えようか、あそこにはグリーン用のこんな棚を作って置こうかって、自分の家だし好きにできる。それも楽しみです。
今は亡き祖父がガレージとして使っていたスペースがあるんですが、グリーンの世話をしたり、DIYをしたりする、「俺の工房」に生まれ変わらせました。何か作業をするだけでなく、集めに集めた工具類を見ながら一人お酒を飲んだり、友達と集ったりもしています。特別な居場所となりました。
住宅が密集しているわけではありませんから電動工具の音を響かせても平気です。むしろ、村のどこかで誰かが工具の音を立てていたら、「何を作っとってやろ、見せてもらいたい!」と飛んでいきたい気持ちになります。
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これからの村・これからの私たち家族
勝則さん:多可町には移住をしてこられる方が最近増えてきましたね。うちの村にも。僕は大歓迎ですぐにでも仲良くなりたいタイプです。「どういうことをしてきたの? それがおもしろいことなら教えて。僕も自分の知っているいろんな情報を話すから」って、ワクワクします。
ただ、移住してくる人たちが増えるのはいいんだけど、今ある、人とのふれあいたっぷりの人間関係の良さが崩れてしまうようならそれは怖いです。
たとえば、静かな田舎で干渉されずにひっそり暮らしたいという人が来ても歓迎ですが、それが多数派になって、人とふれあわない村になってしまったら嫌です。
パンクな兄ちゃんが来てももちろん歓迎。でも、村人みんなをパンクに変えてしまおうとか、思想を押し付けようとしだすのはゴメンです。ここが好きだから、このままの奥豊部を愛してほしいんです。
エリさん:奥豊部は温かい村です。わが家の子どもたちはここでの暮らししか知りませんが、長男は「僕は田舎がいい」と言います。長女は外国に憧れを持っているようです。
子どもたちが将来どこでどう生きるかは本人の自由だと考えています。
多可で、この美しい加美町(区)※ で温かい人たちに囲まれていた貴重な時間が子どもたちをまっすぐに育ててくれました。
親である私たちは一度も田舎を出なかったから、子どもたちは一回は都会を見て暮らすのもいいかなとも思っています。どこに行っても帰ってきたらいつでも心から癒してあげられるように、私たちはずっと多可町のこの家で心豊かに暮らしていきます。
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※「加美区」「中区」「八千代区」という呼び方が正しいですが、地元民の間では、昔の呼び名「加美町(かみちょう)」「中町(なかちょう)」…といった呼び方をすることが多いです。