VOL. 14

窪田 馨さん&窪田 麻衣さん

地区:加美区三谷

2015年に丹波市山南町からお嫁に来た麻衣さん。馨さんの実家で同居をするってどんな感じなのかな…とちょっぴり不安を感じていたそうですが、一緒に子育てを手伝ってくれるご両親と素敵なご近所さんに恵まれ、この地での生活を楽しんでおられるとのこと。
馨さんは、大学時代に大阪での生活を経験したそうですが、卒業後に多可町に戻ってきて就職。4年前に麻衣さんに出会って二人の子どもに恵まれ、日々の成長を見守りながら幸せな毎日を過ごしています。

窪田 馨さん(会社員)
窪田 麻衣さん(保育士)

  • 多可町と山南町

    麻衣さん:私は生まれも育ちもずっと、丹波市の山南町です。多可町も田舎ですけど、山南町はお隣りなので、特に田舎に越したわけではないのですが、結婚するまでに行ったことがあるとすれば余暇村公園とかラベンダーパークぐらいかな…あまり馴染みがない場所でした。

    馨さん:僕はずっと三谷で生まれ育ったんですが、今もあまりまちの姿は変わっていないかなと思います。僕が通っていた杉原谷小学校は、今は各学年1クラスずつですが、当時は2クラスありましたので、やはり子どもの数は減っているのかな。中学生のときに鍛冶屋線が廃線になって、多可町には電車が無くなったので、高校は西脇まで毎日片道1時間15分ほどかけて自転車で通っていました。今の子は多可町が発行する乗車パスでバスに安く乗れますけど、昔は結構高かったんですよ。

    麻衣さん:私は2つ年下の弟がいるんですが、両親共に大型スーパーで働いていましたので、姉弟でよく一緒に遊んでいましたね。子どもの頃から明るい子でほとんど病気もしたことがない元気者だったので、近所の子を集めてワイワイ賑やかにしているのが好きでした。運動神経は悪かったのですが、小学4年生から高校生までバレーボールをやっていました。このまちが嫌だと考えたことも、都会に憧れていたということもなく普通に育ったって感じです。

    馨さん:僕は姉が一人いて、年子だったせいか仲が良かったですね。両親も仲が良いので、恵まれた家庭環境だったと思います。おとなしい子だったみたいですけど、子どもの頃は結構スポーツをやっていて、小学5年生のときに学校に野球クラブができたのでそれに入って、剣道もやっていました。中学は陸上部で短距離をしていましたので、運動は好きでしたね。


  • 子どもの頃の夢〜学生時代

    麻衣さん:当時、両親はふたりとも西脇市のダイエーで働いていて、ふたりとも基本的には週末はずっと仕事でしたね。なのであまり週末には遊びに連れて行ってもらえなかったのですが、ときどきまとめて休みを取って旅行に連れて行ってくれていました。
    普段親が家にいないことが多かったので、近所の子たちを集めて一緒に遊んでいました。そういう環境だったからかな…。私が中学生のときに始まったトライやるウィークでは、抽選で外れて保育園に行きたいって希望は叶いませんでしたけど、そのころからずっと保育士は目指していました。

    馨さん:僕は特にこうなりたいという夢はなかったのですが、強いて言えば文系の人間だったので、大学は法学部に進みました。学生のときは東大阪で一人暮らしでした。そのときにはじめて多可町から出たのですが、やっぱり都会での暮らしは刺激的でしたよ。ちょっと自転車で行けば何でもあるし…。
    高校のときからギターをちょろっと触ってはいたのですが、大学のサークルでギター・マンドリンクラブに入って、年に2回の演奏会に出ていました。当時、僕が学生のときにはBOØWY(ボウイ)やブルー・ハーツなどのバンドが全盛期でしたので、エレキギターを弾いている人はたくさんいましたよ。今、三谷のご近所さんでバンドを組んでいますが、大学を卒業して以来、20数年ぶりのことです。

    麻衣さん:高校は電車で篠山口まで行って、そこから自転車で行けるところに通っていたのですが、高校時代は友達と電車に乗って神戸とか大阪に遊びに行っていました。山南町にはJR福知山線の谷川駅がありますので、その気になれば都会にも遊びに行ける便利な地域なんですよね。中学のときも電車で隣の柏原とかにも遊びに行っていました。
    そうそう、大学の進学を決めるときに、ネイルアーティストになりたい!っていう2つ目の夢もありましたけど、ネイルは趣味でもできると思って保育士の資格が取れる短大に進みました。基本、寂しがり屋なので、そのときも一人暮らしは嫌で実家から三田に通っていました。


  • 地元での就職

    馨さん:親からは将来、実家に帰って来いとも帰って来なくて良いとも、どちらとも言われていませんでしたけど、大阪と多可町の両方で就職先を探しました。当時はまだ就職氷河期でしたし職種の希望も特になかったので、スーパーと金融機関、それからやったことはなかったけどSEの仕事の内定をもらえてしまって、パソコンも触ったこともなかったので、これはヤバいな…と思いました。それで、結局、地元の農協での就職を決めて、多可町に帰って来ることになりました。大阪に未練がないことはなかったけど、とりあえず就職のために帰ってきたという感じです。親元に住むことを強制されたわけでも無いですが、実家に帰るとやはり親やご近所さんたちは喜んでくれました。それからずっと農協で仕事をしています。
    同級生などは消防団が嫌で都心部での就職を選んだ人もいますけど、僕はそれほど嫌じゃなかったですね。大変なこともありましたが、今、現役を退いても後輩のことが気になったりしますので、やって良かったなと思っています。

    麻衣さん:ピアノは3歳から習っていたんですけど嫌いで仕方なかったので中学で一旦やめて、テストもあったので短大でまたやり始めました。まったくの初心者ではなくて良かったです。
    いちおう保育士と幼稚園教諭の免許を取ったのですが、小さい子のお世話をしたかったので卒業後は西脇の保育園に勤めました。働き始めると、理想とは全然違っていてホントに大変で、初年度は2歳のクラス27人の主担だったので毎日バタバタでした。やっと楽しくなったのは3年目です。慣れるまでは大変でした。
    基本的には子どもたちに対してトイレや歯磨きなどの生活習慣を身に付けさせたり、遊びや集団での生活のルールを教えるのですが、親よりも長くいるので責任重大です。子どもが帰ってからの仕事も多いし、家庭環境によって子どもが一人ひとり全員違うので、成長の記録とか日誌とかの書類に追われていましたね。それは今でも同じですけど。それに、ママ友には言えない親の相談も受け止めたりもしないといけない仕事なんです。
    西脇の保育園で7年間勤めて、27歳のときに丹波市の保育園に変わりました。途中から幼保連携でこども園に変わりましたが、今もそこに勤めています。

  • 出会い〜結婚

    馨さん:結婚というのを考えだしたのは、30歳過ぎぐらいからですかね。地元の企業で働いていると、知り合いの知り合いみたいな人から「ええ娘がいるんやけどね〜」という話は無いことはないんですけど、こっちに帰って来ると現実的にはなかなか出会いの場はないですね。

    麻衣さん:私も女性ばかりの職場ですし、拘束時間が長いのでなかなか出会いがありませんでした。ほんとは20代で結婚をしたかったので、周りの友達がどんどん結婚していくのを見てどうしよ〜って思っていました。合コンとかも行ったことがありますけど、毎日仕事に追われていたのであっという間に30歳になってしまいました。
    そんなときに、親の知り合いの着物屋さんに冗談半分で「誰かいい人いないかな〜」って言って紹介されたのが馨くんでした。着物屋さんとか家具屋さんって、結構ネットワークを持っているみたいなんですよね。結婚したら自分のところで着物とか家具を買ってもらえるので、昔ながらの婚活ネットワークみたいなものですね。

    馨さん:出会ったのは僕が39歳のときかな。付き合いはじめて1年で結婚しました。

    麻衣さん:彼の方が9歳年上なんですけど、最初にお話を聞いたときには「ちょっと年が離れているんだけど…」って聞いていましたけど、会ってみると優しそうで静かな人だったし、全然年の差も気になりませんでした。ふたりとも音楽が好きなので大阪城公園の野外フェスとかに連れて行ってくれて、それがきっかけでミスチルとかいきものがかりとかのコンサートにも一緒に行くようになりました。

    馨さん:明るくて可愛い子だなと思いましたね。お付き合いが始まると、なんだかあっと言う間に「結婚」という話になりましたね。それからすぐに二人の子どもに恵まれたので、そこからは子育てで毎日があっと言う間に過ぎていきました。

    麻衣さん:子どもは欲しかったので、生まれてきてくれたときはホントに嬉しかったです。でも、保育園でお世話をしている子どもたちとはまた違って、子育てって大変!って思いましたね。今は二人目の子の育休中で、9月から仕事に復帰するのでキッズランドかみに子ども二人を預かってもらう予定なんです。遅くまで迎えに行けないのはちょっとかわいそうなので、旦那さんのご両親が交代で早めの時間に迎えに行って、家で見ると言ってくれてるので助かっています。


  • 三谷での暮らし

    麻衣さん:こっちにお嫁に来たときに、お義母さんにご近所に挨拶回りに連れて行ってもらったんですけど、みんないい人で「良かった〜」って思いました。旦那さんは自分の育った地域なので知り合いがたくさんいるでしょうけど、私は誰も知った人がいない違う世界に入って来たので、秋祭りとかでみんなで集まれることがあったのが嬉しかったです。今は同じ隣保の人たちと仲良くなってワイワイできるのがすごく楽しいです。
    育休中はずっと家にいても誰とも会えなくて孤立していたので、週に1、2回は八千代の子育てふれあいセンターに出かけて行って、同世代のママさんたちとのおしゃべりとかを楽しんでいました。多可町はかなり子育ての支援が充実していると思いますよ。今はセンターが中区に移ってしまいましたが、八千代の森に隣接していたので良い環境だったと思います。

    馨さん:たまたま同じ隣保の中で楽器ができる人がたくさんいたので、近所の中学生の子がピアノの発表会に出るときに、一緒に3隣保でバンドを結成して出たことがあるんです。そのときに久しぶりにギターを出してきて、何曲か練習しましたけど楽しかったです。こういう機会がまたあったら良いなって思っていたんですけど、そしたら今度は集会所で月に1度集まる「ふれあい」という集落の朝食会の場に呼ばれて、コンサートをさせていただきました。本番ももちろんですが、練習でご近所さんの家に集まって練習をしているときも楽しかったですね。

    麻衣さん:同じ3隣保の中には同年代の仲良し家族が何組かいるので、ホントに良いところに越して来れたな〜って思っています。今、楽器を演奏できる6人で「歩いて1分ご近所バンド・三谷三隣保」というバンドを組んでいるのですが、それがすごく楽しい。一緒にワイワイ企画を作っているときや、練習のときなどで集まれるのが嬉しいです。先日は、ちゃんとチラシまで作ってコンサート&生演奏付き絵本の読み聞かせ会を開催して、40人ぐらいの人が集まってくれました。同じ3隣保の高校生たちも一緒にカップケーキを作ってくれて、ホントに楽しかったです。ここのご近所さんたちは明るい人が多くて誰でもすぐに受け入れてくれます。なかなかこんな環境はないかなと思います。

    馨さん:三谷はかなりフレンドリーな方が多くて、麻衣ちゃんにとっても良い環境だなと思います。僕も彼女が来てくれたおかげで、こうして久しぶりにギターを弾く機会にも恵まれましたし、ご近所さんとのお付き合いもできるようになったので、とても感謝していますよ。

    麻衣さん:私が子どものころは、歩いたり自転車で行ける場所に友達がいたので一緒に遊ぶことができたんですが、うちの子どもたちが大きくなった時には集落の中に子どもが減ってきて、車で送り迎えをしてあげないと友達の家まで行けなかったりするので、それはちょっとかわいそうかなという気がします。どの集落も子どもが減っているようなので、多可町で子育てをしてくれる人が増えてくれたら良いのになと思っています。

    馨さん:これまでは子どもが小さかったのでなかなか一緒に出かけられなかったのですが、やっと最近一緒に出歩けるようになりました。子どもたちと出かけるのはもちろん楽しいんですけど、ゆっくりご飯も食べられないことが多いので、もう少し子どもが大きくなったら妻と二人の時間を楽しめるようになれたら良いなと思っています。