VOL. 24

岡田 航さん、入井 祐さん&吉岡 潤さん

地区:加美区門村

「学生時代をともに過ごした友人と、就職を区切りに離れていく─、それが世の当たり前であるなら僕たちはあがきたい」。中学からの10年来の友達3人で手に入れた、多可町でのシェアハウス暮らし。都会っ子の若い3人が満喫する多可町ライフは楽しさに満ちているようです。どのような暮らしかちょっと覗いてみましょうか。(R3.10.20)

岡田 航(わたる)さん(Apple Japanコールセンター業務)写真右
入井 祐(たすく)さん(映像クリエイター)写真中央
吉岡 潤さん(多可町地域おこし協力隊)写真左

  • 大阪生まれアメリカ育ち スポーツ万能のモテモテキャラ・岡田クン

    岡田さん:僕は、生まれは大阪の泉佐野市で、幼稚園卒園後に父の仕事の関係でアメリカに移り、そこで7年間過ごしました。子どもの頃は「野球がしたい」と言えば野球をさせてもらえ、「やっぱりバスケがしたい」「やっぱりアメフトがしたい」というように次々にしたいことをさせてもらうわがままなガキでした。
    帰国は中学2年生のとき。同志社国際中学校に編入し、そこからは京都で暮らしました。吉岡、入井はすでにその学校にいたんです。
    帰国子女で、まず日本語がそんなにわからない。言葉を勉強するところから始めました。中2の多感な時期でしたからいろいろなことに戸惑い悩みました。日本の友達はこんな遊びをしているけれど、僕にはそれが楽しくない、どうしよう…とか。

    吉岡さん:でも、そこから岡田くんは、学校イチの人気者になっていくんです。

    入井さん:彼はとんでもなくモテていましたね。ファンクラブもあったんだっけ? 後輩からきゃあきゃあ言われていました。


  • 根っこの部分ははっちゃけタイプ 一見真面目な生徒会長・よしじゅんクン

    吉岡さん:僕の生まれは大阪の豊中です。子ども時代は、実は今も変わらずなんですが「目立ちたがり屋」でした。歳の離れたきょうだいがいる末っ子なので、家族に注目されていない時期がなく育ちました。そんな中ですごく勉強をさせられていて、遊んだ記憶はあまりなく、気づいたら同志社国際に受かっていた感じです。

    入ったはいいけれど、通学に2時間半かかったので、学校で友達といられる時間が誰よりも短かった。周りはどんどん仲良くなっていって、さらにどんどんやんちゃになっていくのに僕だけが置いていかれていくような気がしていました。僕もはっちゃけたい。どうしたら目立てるかを考えて、みんなとは逆を行こう!と、中学から生徒会長になったりしました。そして、岡田くんに次ぐ学校No.2の人気者になれました(笑)。

    岡田さん:僕たちは10人くらいの大きなグループの中の友達で、みんなワイワイ騒ぐ子たちなんですが、グループ内に生徒会長がいると目を付けられずに済むという利点がありました。

    吉岡さん:先生からは岡田くんたちのブレーキ役と見られていましたね。

    岡田さん:上手な子なんです(笑)。


  • 部活も勉強もがんばった 親たちからの信頼も厚い・たすくクン

    入井さん:僕の出身は奈良の橿原市です。親がアウトドア志向で、夏は川遊びに昆虫採集、冬はスノーボードと、アクティブに育ちました。

    同志社国際中学に入り、その頃家族で京都に引っ越しました。アメフト部に入り、部活中心の生活をしていました。高校生になり1年間カナダに留学し、それが影響したわけでは特にないのですが、帰国後は子どもの頃にしていたようなアウトドアの遊び、海に行ったりキャンプやスノーボードをよくするようになっていきました。高校時代は陸上部に所属していました。

    3人の中では一番僕が成績優秀じゃなかったかな。この二人の家族からも「(うちの息子を)よろしくお願いします」と言われるのは僕ですね(笑)。

    岡田さん:はい。自他ともに認める優秀さです。


  • シェアハウスには「第一章」があった

    吉岡さん:同志社国際は帰国子女が多く、英語が話せる人が2/3を占めています。僕と入井は国内生で英語なんてしゃべれない。校歌も英語で、入学式から「終わった…」と感じました。生徒同士が英語で話しているビックリな環境で、みんなで思いやるというより、中学の出だしは主張をぶつけ合う感じでした。そっちが英語でガンガンくるならこっちは関西弁でバンバンいったるわ!みたいなね。そのうち分かり合えるようになるんですよね。

    中3でこの3人は同じクラスになりましたが、中・高・大を通じて交流があったりなかったりを繰り返していきました。

    僕と岡田くんが仲良くなったのは中3のある日。廊下でダンスをしていた僕に「え? 踊れるやん?」って、学校イチ人気のイケてる岡田くんが声をかけてくれたのがきっかけです。「これは逃すわけにはいかない」と、必死で仲良くなるチャンスをつかみました。

    岡田さん:入井とは大学で2年くらい同じチームでアメフトをしていて、その頃にぐっと仲良くなったように思います。

    大学生になってからも僕たちは大きなグループで行動していました。「実家から通学できてしまうので一人暮らしをしたいけれどもできない子たち」がメインのグループでした。そこで、「一緒に部屋を借りて自分たちの拠点にしないか?」と僕が提案し、7人で16畳の部屋をシェアすることにしたんです。
    大学の近くに部屋を借りて、住むわけではないけれど、日中をみんなで過ごすルームシェア。

    吉岡さん:全員が実家暮らしのヤツ。あ、一人、下宿生もなぜかおったわ(笑)。
    シェアハウスって、知らない者同士が住んでそこで仲良くなったりもするところと思っていましたが、元々の知り合いが一緒に住むって発想、めっちゃいいやん!と思いました。
    そうしたアイデアを持ち込むのはいつも岡田くんです。したいこと・すべきことは「楽しいか、楽しくないか」で決める──、岡田くんの判断基準は明確なんです。

    みんなでYou Tubeにアップするコンテンツを作ったりして過ごしていました。僕にとってはとても楽しい時期でした。このまま就職したくないと思っていましたね。

    入井さん:彼の奇抜な提案には常に乗っかっていこう、間違いなく楽しい方向に行くから、そう思っています。別のエピソードですが、大学1回生のとき友人の一人が海外の大学に移ることになり、そのときも彼の発案でカメラをプレゼントすることになりました。「100人から300円ずつ集めたら3万円のカメラが買えるから」と、本当に100人集めてしまう行動力に驚きました。


  • それぞれの巣立ち。そして、再集結は多可町で

    岡田さん:そんな僕たちも社会人になる日が来て、僕は星野リゾートに入社。赴任地は山口県長門市でした。知り合いが誰もいない遠い町で一人働く毎日を過ごしていると『やっぱり地元の友達と一緒にいたい』という気持ちが膨らんでいきました。今から歩んでいくキャリアと自分が本当にしたい暮らし方をしっかり考えたら、「退職して関西に戻ろう」と結論を出すまでに時間はそうかかりませんでした。

    入井さん:私は神戸市内にある映像制作会社に就職しました。三宮の高速道路沿いの北向きマンションに暮らし、太陽も浴びない、仕事も忙しい、落ち込んで、すり減ってかなりしんどい思いをすることもありました。

    吉岡さん:僕はアパレルのGU(ジーユー)に入社し、尼崎、伊丹、御影の店舗を渡り歩き、副店長をしていました。

    岡田さん:どうせ仕事を辞めるなら今より楽しいことをしないと意味がないと思っていました。僕にとっての楽しさは友達抜きでは考えられません。同じように会社勤めに苦しさを感じていた入井に「一緒に住まん?」と持ち掛けたんです。

    入井さん:学生時代から彼の提案を常に受け入れてきた僕は、そのときもノリと勢いで「そうしよう」と答えました。

    岡田さん:私と入井で部屋を探そうと『SUUMO(スーモ)』を見てみました。入井は「兵庫県」に限定していましたが、僕は勝手に関西全域から「広い順」で探して、予算に合う一番広い家として出てきたのが多可町のこの家でした。

    「こんなデカイ家にこの賃料で住めるんや!」「でも、多可町ってどこなん?」「最寄り駅までバスで1時間? ありえない」と、ここは「冗談物件」の扱いをまずはしていました。

    入井さん:私は神戸市内の会社にまだ勤務していたままでしたので、辞めるまでの4カ月間は毎日神戸に通勤しないとならず、物理的に無理だとも思ったんです。

    岡田さん:振り出しに戻って、どういうところに住みたいか、そこで何をしたいかを二人でバンバン投げていきました。「めっちゃでっかい庭がほしい」「駐車場も何台分か欲しいよな」「キャンピングカーつくりたい!」「ワクワクする家に住みたい」、そんなことを言っていたら「この家くらいしかないやん」とまた話がここに戻ってくるんです。

    2021年1月初旬、とりあえず、まったく知らない町・多可町に入井と物件の内覧に来ました。
    その日はとてもよく晴れた日で、ここに着いて車から降りた途端、青空にこの広い庭がきれいに映えて、素晴らしい景色が僕らの前に広がりました。「ここやわ…」と入井が言って、僕もここしかないと思いました。

    僕たち若者は友人同士で「位置情報共有アプリ」を使うんですが、そのときたまたまアプリを見たら、「山﨑 栞さん」という中学からの友達が多可町のマップに現れていたので連絡を取ってみました。
    「なんで多可町にいるの?」
    「だって私、多可町で働いているんやもん」

    「よし! 多可町に住もう」、そう決めました。その日のうちに大家さんに返事を入れ、そこからは物事が一気に進み、2週間後にはこの家に入居していました。


  • 新しい仕事 みんなのルール

    吉岡さん:二人が「めっちゃ田舎に行った」という噂はすぐに耳に届きました。マズい! 置いていかれる!と焦りましたね。
    でも、この二人、一人は映像が作れて、一人は英語がペラペラと、手に職があり、どこにでも単身で乗り込める人たちです。僕もそこに加わりたいならその土地で仕事を探すしかないと、多可町で就職活動を始めることにしました。

    休みが1日でもあったら仕事終わりに終電でやってきて西脇市駅まで迎えに来てもらって、週一でこの家に泊まりに来ました。最初に来た日は薄もやがかかっていて幻想的で「まるでゲームの世界やん」と感激しました。家は広いし、どうやら僕の部屋もありそうだし(笑)、うれしかったですね。

    多可町で地域おこし協力隊が新しいスタッフを募集すると聞いて、そこに懸けました。勤務先は道の駅「杉原紙の里・多可」です。「最高利益を出します!」と大きくアピールして採用となり、2021年10月から働いています。

    入井さん:僕は映像クリエイターとして独立をしました。企業の商品PRやブランディング映像を制作しています。コロナ渦で、打ち合わせなどをオンラインで行うのが普通になったことが幸いして、どこにいても仕事ができることをありがたく思っています。

    岡田さん:私は朝の9時から18時まで、在宅でフルタイム、コールセンター業務を行っています。

    入井さん:友達と一緒に暮らすからと言って、仕事も遊び気分で行うものでは決してありません。自分の仕事に誇りを持っていますし、仕事には真剣に取り組む、それが僕のルールです。

    岡田さん:この家には11も部屋があり、一人二部屋ずつを使ってプライバシーを確保しています。僕も仕事は自室にこもって集中して行っています。仕事時間は3人それぞれに違いますが、夕飯は3人揃って食べて、そのあと遊ぶ。これが楽しいんです。

    入井さん:カラオケ、卓球、ボードゲーム、外で焚火を囲んで喋ることもあるし、毎晩楽しんでいます。そこからまだ一仕事する日もあります。

    岡田さん:家事は分業制です。吉岡が食事を作り、入井が洗い物をし、経理もし、僕は洗濯。共有スペースの掃除は分担して行っています。

    吉岡さん:システム作りは3人でしっかり話し合って決めています。もめ事が起こりそうなときも話し合って解決します。そういうときの司会も岡田くんは上手い! 最終笑って終われるようにもっていってくれるんです。


  • 多可町にあふれる魅力

    岡田さん:まだここに暮らして日は浅いですが、僕は多可町の人たちの温かさに圧倒的に魅了されています。越してきたばかりの頃、大雨の夜にコンビニに行こうと車を出して、迷って狭い道に入り、脱輪をしてしまったことがあったんです。そうしたらおじいちゃんおばあちゃんたちが「どうしたんや?」と集まってきてくれて、総勢20人くらいになって。お年寄りばかりではどうにもならないと思った僕の想像をはるかに超えて、みんなで車を持ち上げて道路に戻してくれたんです。見知らぬ若者の京都ナンバーの車、見て見ぬふりをするのではなく、大雨の中大勢で助けてくれたことがめちゃめちゃうれしかった。
    ご近所の方はお野菜をくれるし、作業で困っていたら声をかけてくれて脚立やスコップを貸してくれるし、こんなに温かい町に住めることにありがたさを感じています。

    そして、この家から見える景色の素晴らしさも最高です。窓辺に仰向けに寝転がると、余計なものが見えなくて空だけが見えるんですよね。「タワマンの最上階に住んでるんちゃうん?」って錯覚するほどです。星空も感動的です。

    入井さん:僕は内覧に来た日からずっと多可町の自然の美しさに見とれています。散歩をすれば仕事の悩みも浄化されていきます。ホタルがいっぱい飛び交う川の美しさは最高です。子どもの頃味わっていたけれどいつの間にか忘れてしまっていた自然の中での遊びの楽しさがよみがえってきました。

    吉岡さん:本当に多可町はハッキリと四季を感じさせてくれる町です。僕は同居するまで半年間、週に一度ここに通いましたので、季節の進み方をコマ送りで見てきました。街路樹の色が変わっていく様は、都会では感じられない美しさを見せてくれます。
    そしてやはり人も素晴らしいです。職場の方が家で作ってきたおかずをくださったりもするんです。助かっているし全部おいしいし、チームの結束力も感じ、働き甲斐も感じます。

    入井さん:中学からの友達二人もが多可町の地域おこし協力隊で働いています。僕は広告の仕事をしているので、協力隊と一緒に多可町のよさ・美しさを映像で広めるお手伝いができたらすてきだなと考えています。


  • 僕たちは後悔しない生き方をしている

    吉岡さん:この暮らしを手に入れるまで、友達と一緒にいられないことが何よりストレスでした。
    僕たちは「いっときの楽しさを求めてここで一緒に暮らしている」と思われているかもしれません。でも、今この瞬間を楽しみながら、この先も経済的にも安定していければ、生涯を通し誰よりも楽しい生き方ができると信じています。

    岡田くんと入井くんを見ていて、どこででも仕事をしていけるスキルを身につけたら、住む場所は自由に選べるんだと知りました。そうしたら都会と田舎の境目もなくなってくるように思います。僕も自分の得意なことを磨いて、これからの人生、好きなところで暮らせるようになっていきたいと思っています。

    岡田さん:自分の生活が一番楽しいと言える自信がありますね。

    入井さん:最近まで草がボーボーだった庭をみんなでガッツリ整えて、ライトをつけてガーデンパーティーを楽しんだりもしています。友達が遊びに来たら体育館を借りてスポーツをしたりもします。

    吉岡さん:近いうちに千ヶ峰に登る「多可の森健康ウォーキング」にも3人で参加したいと思っています。

    岡田さん:3人で行きたい場所、お店、コロナ渦で行けていないままだったので、これからどんどん出かけていきたいですね。緊急事態宣言が解除されて、この前、焼き鳥屋さんにスケボーと自転車で出かけました。この家ももっと楽しめる家に強化して、多可町暮らしをますます充実させていきます。
    やりたいと思ったことが何でもできる環境です。僕たちは後悔したくないから、おもしろいと思ったことに次々に手を出して、全力で今を楽しみます。