VOL. 28
山本 貴大さん&真佑子さん
地区:八千代区下三原
いちご農家になる。自分たちで育てたいちごで絶品のタルトをつくる! 夢と勢いで愛知県から移住してこられた山本さんご一家。でも、農地も家も店もまだ入手ならずの状況です。
「アホで無謀」、先輩就農者は愛をもって山本夫妻をそう評します。夫妻のまっすぐな人柄は人を惹きつけ、人が人を呼び、差し伸べる手は増えていくよう。
すべては今から。情熱で切り拓く未来を、私たちもともに見守っていきませんか。
(R5.1.24)
山本 貴大さん(いちご工舎代表)
山本 真佑子さん(いちご工舎)
いちご工舎
-
いろんなことをやりたくて。いろんなところに行きたくて
貴大さん:僕は愛知県南知多町の出身です。海も山もすぐそばにある自然豊かなまちで育ちました。遊んでばかりいましたね。小学校の帰りにパンツ一丁で海に飛び込むとか、山の中を走り回るとか、毎日泥だらけケガだらけになって家に帰るような子どもでした。
実家は釣り船工場を営んでいます。僕は商業高校を卒業し、まず、パイプ工場に勤めました。暑い室内で朝から晩まで、持ち場を離れることができない状態で働き続けます。体調が悪くても容易にトイレに立つこともできない環境。ストレスから3か月で辞めて、実家の工場でしばらく働きました。
その後は名古屋に出て一人暮らしを始めました。都会に出てみたかったんです。薬品のルート配送、居酒屋、引っ越し業者、ガソリンスタンド、イタリアンバル…、いろいろな職業を経験しました。若い頃はいろんなことがしたい、いろんなところに行きたいと思って転職をし続けたんです。したいことを探っている、そんな時期でした。
-
いろんな国に行きたくて。いろんな好きを極めたくて
真佑子さん:私は高松で生まれ、加古川で育ちました。
子どもの頃は普通の子。いや、どんくさい子でしたね。田んぼの周りを友だちと走り回って遊ぶんですが、一人、小川を飛び越えられなくて遠回りするような子。頭はいいんです(笑)。通知表にはずらっと「5」が並び、でも体育だけ「1」。運動神経は今も悪いままです。
高校1年生で明石に引っ越しました。駅前開発が進んだ頃で、大きい商業施設もでき、マンションブームが起き、私たち一家もマンションに暮らしました。
高校を出たら大学には行くものだと思って大学に進み、大学を出たら就職をするものだと思って、大阪の靴下メーカーに就職をしました。入ってみたらめちゃめちゃブラック企業でした(笑)。しんどくなって1年で転職をして、2社くらいでOL生活を経験した後に派遣で「アシックス」に入りました。正社員を目指して頑張りましたが、派遣法の改正で夢が絶たれてしまいました。
これからの身の振り方を考え、「外国に暮らしたい!」「語学を習得したい」と、そこからは海外を転々としました。韓国、中国、イタリア、フィンランド、スウェーデン、ネパール、ニュージーランド…。私、語学が好きで、出身大学は関西外国語大学なんです。
ニュージーランドでは羊毛フェルトを学びたくて、実際にそれも習いましたが、「ウッドワーク(木工)」に出合ってからはフェルトそっちのけで木工にはまりました。図書館で本を見つけたのがきっかけです。木工が盛んなネルソンという都市に向かい、ウッドターニング(木工旋盤)にも親しみました。
-
「手に職をつけたい」。同じ思いの二人が出会う
貴大さん:したいことを探し続けて職歴が異常に増えた僕ですが、30歳近くになって、きちんと手に職をつけなければと考えるようになりました。長野にある木工の専門校「上松(あげまつ)技術専門校(以下、上松)」の入試を受けました。
真佑子さん:ニュージーランドきっかけで木工に興味が出ていた私も、同じ年に「上松」に入りました。そこで私たちは出会いました。タカちゃんの第一印象は「ちょっと怖い人」(笑)。みんなの自己紹介を、人をガン見しながら身を乗り出して聞いていたんです。坊主頭という風貌も印象的でした。
貴大さん:僕は真佑子のことをかわいい人だなと思って見ていたのにね(笑)。みんな緊張して自己紹介しているんだから全力で聞きたい、そう思っていたんです。真面目過ぎるとよく言われます。
上松で学ぶ期間は1年間だけですが、「きっと人生で一番楽しい1年だ」と思いながら過ごすことができていました。
真佑子さん:私も同じように思っていました。毎日が自分たちの挑戦だし、好きなことを毎日できる充実感に浸っていましたね。
貴大さん:僕たちは在学中からお付き合いを始めました。卒業後、真佑子は徳島の家具の会社へ、僕は就活をしましたが木工の仕事には就くことができず、一度実家に戻りました。
真佑子さん:残念なことに徳島の会社にはうまくなじむことができず、その地に知り合いが一人もいない私にとっては孤独な時間が続きました。タカちゃんがいる愛知に行きたい…。その思いが強くなり、知多半島で食卓周りの小物をつくる工房に転職しました。通うのはタカちゃんの実家から。まだ結婚前のことです。
-
木工といちごといちごのケーキ
貴大さん:真佑子と実家で暮らすことになった頃、僕は、ケーキ屋を併設したいちご狩り農園に勤めることが決まりました。いちごの仕事は、何もわからないところからのスタートでしたが、どんどん楽しくなっていきました。自分たちの作業次第でいちごの味が変わってくるんです。ちゃんと育てることができたらめちゃくちゃ旨い。採れたてを食べるとさらにおいしい。農業もするしケーキ屋部門でも働いて、ケーキづくりが上達していく喜びも味わいました。
真佑子さん:観光地ということもあって人気店だったよね。
貴大さん:そう、信じられないほどの売り上げをたたき出したよね。自家栽培のいちごだから原価を抑えることができるんです。
そこには6年勤めました。その間に実家を出て、結婚をし、子どもが二人生まれました。真佑子は木工、僕はいちご、この二つで愛知で長く暮らしていくのかなと当時は思っていました。
真佑子さん:でも、夫は自営業の家の子ですから、実は雇われ続けることができないタイプです。いちごの仕事をしながら、いつかこの業態で独立したいと言うようになりました。
どれだけ働いたら一人前になれるのかを模索しながら働いて6年目で、勤め先が他の法人に吸収合併されることになりました。辞めるタイミングとなったのです。
-
さぁ、どこで夢を叶えようか?
貴大さん:同じ愛知県に同じ業態で商売を始めることはできないので、どこで開業したいか、二人でワクワク考えました。二人が出会った長野にしようか、でも、寒すぎると暖房費もかかるし、双方の実家から遠い土地もよくないねとか。
真佑子さん:二人の実家の中間を地図で探して、京都、奈良、滋賀、それぞれの田舎部を回ってみました。
貴大さん:実は二人とも「田舎に行きたい」という思いがありました。若い頃僕は都会がいいと思って名古屋に出ていったけれど、大きなマンション群の中庭を歩いていて、「これって映画で見るアメリカの刑務所と同じ構造じゃん」ってちょっとぞっとしたことがありました。真佑子も息子もアトピっ子なので、空気と水のきれいな田舎に行きたいと思っていたんです。実際、上松で過ごした1年は、真佑子の肌調子もよかったですし。
真佑子さん:そうこうしている頃、一度私が明石の実家に子どもたちを連れて帰る機会がありました。暑い夏で、親が水遊びに連れて行ってくれたのは、同じ兵庫県なのに名前も知らなかった多可町というまち。そこの道の駅「杉原紙の里・多可」の前に流れる杉原川で川遊びを楽しみました。
水の美しさは最高でしたし、このまちいいなぁと思いましたね。自然、家々の景色がすごくいい感じで、最終的に移住先はここになるんじゃないかなって、ぼんやり思いました。
貴大さん:「すご~くいい所だったよ」と真佑子から話を聞いて、僕も僕で、もしかしてそこに移住することになるかなと、そのときから心の中に「多可町」の名前が存在し続けました。でも、それからも移住候補地として僕らが回ったのは兵庫県三田市や江(え)井島(いがしま)でした。その頃相談にのってもらっていた「兵庫県就農支援センター」の人から紹介された土地を回っていたんです。
江井島は「島」と付きますが島ではなく、明石市大久保町内の地名です。住宅地にある畑を借りていちごを育ててケーキ屋をするなら、周辺人口が多い分、商売はきっとうまくいくと思えました。事業計画書を作り、初期投資費用などの計算を煮詰めていたとき「あれ? 本当にここに暮らしたいのかな?」と我に返る瞬間がありました。ここは田舎でもなんでもない。僕らが暮らしたいのは水と空気がきれいな穏やかな所のはず。初心に返ろうと思いました。
真佑子さん:そして、ほかにも関西を回った後、2022年6月、ついに多可町を見にきました。心の中にずっとあったのに行けてなかった場所。タカちゃんもタカちゃんで気になっていた多可町です。
貴大さん:「多可のタカがつくるタカいちご」なんて謳えるかな、そう考えるのも楽しかったですね(笑)。
役場に顔を出して空き家バンクに登録。定住推進課の方たちは歓迎ムードで親身になって話を聞いてくれましたし、定住コンシェルジュの小椋さんにも会ってみたらいい人で安心できました。近々移住者交流会が小椋家で開かれると聞いて「これは行かなきゃだね」って、また2週間後に子どもたちも連れて愛知から駆け付けました。移住してきた家族、移住希望者、近所の方たちも集う会で、役場の人たちにもまたそこで再会。気持ちが一気に多可町に向かいました。
移住を決め、交流会から2か月後には一家で愛知から多可町へと引っ越していました。僕たちが目指すのはいちご農家であり、その農家がいちごケーキをつくるというスタイル。自分たちで栽培したいちごの直売もします。古民家の空き家を改修して店舗兼住宅として、家の近くにいちごのハウスを建てるのが理想です。
真佑子さん:家と畑は今なお探し中です。すぐには見つからないだろうからと、八千代の町営住宅の「お試し住宅」を借りて多可町暮らしをスタートさせました。ここに住めるのは最長で2年です。その間に地域に溶け込んで物件を紹介してもらえる流れを作りたいと思っています。
-
これってどうなってんの? 会う人会う人いい人すぎる!
貴大さん:以前から相談をしていた兵庫県の就農支援センターに多可町への移住を報告すると「加西農業改良普及センター」というところを紹介してくれました。普及センターを訪ねると今度は「箸荷いちご園」の吉川さんを紹介してもらいました。がっつりライバルになるはずなのに吉川さんはすごく歓迎してくれて、「いつでも研修に来ていいよ」と言ってくださいました。まだ決まっていない家のことも心配してくれています。
吉川さんの栽培方法は、腰の高さでいちごを育てる「高設栽培」。栽培・収穫作業が楽で、いちご狩りにも適したタイプです。僕たちは初期費用を抑えるために、いずれ農地を手に入れたら「土耕栽培」をしたいと考えていて、「その方法なら加西の柴田農園さんを訪ねたらいい」と紹介してもらえました。柴田さんも歓迎してくれて、吉川さん、柴田さん両氏が僕の師匠となりました。どちらの農園も行きたいときに行って研修させてもらえるという、願ってもない環境です。
普及センターでは「新規就農者講座」を毎月開いていて、僕は移住前からそれに参加していたんですが、ある回で、多可町で酒米「山田錦」を無農薬で育て、その米で「米粉」をつくっている「農園若づる」の園主・辻さんに出会うことができました。多可町でケーキをつくるからには辻さんの米粉を使いたいと願っていたので、早いうちに知り合えたのは大きな喜びでした。
真佑子さん:私たちが一度、高い古民家を買おうとしていたことがあって辻さんに相談したら「やめなさい!」って。「今から就農してケーキ屋さんもやるんでしょ? お金いるでしょ?」と諭され、さらに古民家事情の現実的なアドバイスもしてもらえて、私たちは焦らずにいい物件との出会いを待つことにしたんです。
貴大さん:辻さんには、いろんな人たちを紹介してもらっています。その中のお一人が中尾さん、「多可町オーガニック・エコ農業をすすめる会」の事務局長さんです。
知り合ってからしばらくして中尾さんが電話をかけてきてくれて、「ケーキのことで頭がいっぱいになって、いきなり引っ越してきて農業やりたい言うてるやつ。普通ならそんなんやめとき!と言うが、きみらはもう来てしもうている。だから、応援する。うちの畑のひと畝を貸すから、そこで有機のいちごづくりをまず始めなさい」って。涙が出ました。
80mもある長い長いひと畝、土づくりがしっかりなされた素晴らしい畝。そこをお借りして2023年9月に僕らの初めてのいちごを定植します! その苗は加西の柴田師匠が「余ったから」とくださったものを自分たちでせっせと増やしていった苗なんです。
真佑子さん:出会う人出会う人がみんないい人すぎて、これってどうなっているの?って本当に驚いています。みなさんの期待を背負っている、その責任も感じます。
貴大さん:そう、本当にいい人に囲まれていると実感します。箸荷農園で研修中に、多可町の人気ケーキ店「ナチュール」の店主・今中さんが仕入れに来られて初対面しました。僕は歓迎されないライバルと思われるんじゃないかとドキドキしましたが、今中さんは、全然そんなふうではありませんでした。
近隣の大きな工場からクリスマスケーキの超大量発注を受けていたナチュールさんは、僕をそのケーキづくりに参加させてくれたんです。僕の存在を「助かる」と言って。ノウハウを包み隠さず教えてくださるし、「山本さんのいちごタルトをうちの店で売ろうか?」との仰天提案もしてくださるし、冷蔵庫を1つもらえることになったりも…。いい人の枠を超えたいい人です。
そして、辻さんが多可町のキーパーソン・山本和樹さんも紹介してくれました。和樹さんのおかげで「なごみの里山都」の製菓工房を貸してもらえることが決まりました。快く貸してくださった館長の長谷川さんにもとても感謝しています。
まだ自分たちで育てたいちごはできていない段階ですから、先にケーキづくりからスタートさせることにしたんです。2023年1月から、師匠方のいちごを使わせてもらってタルトをつくり、土日祝限定で「なごみの里山都」にて販売開始することになりました。我々のケーキ屋「いちご工舎」が初めの一歩を踏み出したのです。
真佑子さん:本当は農家からスタートさせたかったのですが、できることから始めよう!と計画を変えました。すべてがチャンスだと思っています。
-
ここで生きていく! 力強く育っていこう、親も子も
真佑子さん:多可町には、子どもと遊べる自然豊かな公園が多いですよね。「余暇村公園」「なか・やちよの森」の渓流広場、湖畔の広場、下三原の「農村公園」「親水公園」、子どもたちは大好きなようです。子育てするのにとてもよくて、身体全体を使って遊ぶので強く育つように思います。
貴大さん:うちの子どもたち、まだ保育園児なんですが、愛知にいたときは保育園を嫌がる・食が細い・言葉が遅いかも?と、心配ごとがいくつかありました。でも多可町に来てからは、保育園でのびのび遊んでいるようで毎日とても楽しそうにしています。成長もあるのでしょうが、すごく言葉をしゃべるようになりましたし、ごはんもよく食べるようになってポチャポチャしてきました。
子どもも我々親も、つくるケーキもここで育っていきます。多可町の米粉、多可町のいちご、多可町の卵でつくる僕らのいちごタルトは、いつかきっと「多可町の手土産品と言えばこれだよね」と言われるケーキに育つんです!
真佑子さん:いちごといちごのケーキは、そのシーズンだけにしかできないことなので、「木工」も私たちの仕事として続けていきたいと思っています。「Tri Try(トライ トライ:3つの挑戦)」をキーワードに「農業」「ケーキ」「木工」、この3つに挑戦していく、それを我々のスタイルにしたいと思っています。
貴大さん:まだ農地もない農家、店舗もないケーキ屋、「アホで無謀」と辻さんからは言われます。まさにその通り! でもそれでいいんです。計画的には生きられない我々、すべてはこれから、なんです。
明石や姫路の駅前などでショップカードを配ろうかとか、非効率と思われることだってしていこうと考えています。動いて動いて知られていきたい。マルシェなどにも積極的に出店したいです。
移住者としては僕らは多分特殊なケースですよね、家も仕事も確保しないうちに来ちゃったという。その状況では普通来ないでしょと言われます。でも来たならしょうがないなって周りの方々が手を差し伸べてくださる温かさは、これぞ多可町の温かさだと思います。お世話になっている方々に恩返しができるように、期待に沿えるように多可町で実直に力強く生きていきます。