日時:2019年10月19日(土) 10:30〜12:00
会場:中コミュニティプラザ2階・大会議室
主催:多可町
【中島 秀豊さんプロフィール】
2008年に事業企画、営業コンサルティング事業を展開するGIN株式会社を設立、中小企業の収益改善事業に取り組む。
2010年から古民家再生事業に関与。2017年に熊本県人吉市に株式会社クラシックレールウェイホテル設立。JR九州・人吉市・肥後銀行などと連携して無人駅の駅前開発事業を開始。2018年に肥薩線大畑駅構内に、大畑駅フレンチレストランLOOPを開業。2019年に肥薩線矢岳駅長官舎(登録有形文化財)をリノベーションした宿泊施設を開業。2018年から、九州内の自治体の地域活性化コンサルティングを開始。
地域の魅力を再発見し、空き家の活用や人口減少などの課題に向き合うために、2016年から「多可町の未来を考える」というテーマで講演会を実施してきました。今回は、熊本県南部の深い山奥に位置する人吉市を走るJR肥薩線の3駅を使った秘境オーベルジュ「クラシックレールウェイホテル」を手掛けた株式会社クラシックレールウェイホテル代表取締役の中島秀豊さんにお越しいただき、1ヶ月で7人しか利用客がいなかった無人駅を地域主体で「他にない価値」としてホテルやレストランなど新たな観光拠点として創出した事例から、自分達の地域の価値を作り出すまちづくりの糸口を探してみたいと思います。
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第一部《中島 秀豊さん講演会》
中島さんが篠山(現在の丹波篠山市)に引っ越してきたのは2010年。当時、「丹波篠山味まつり」という大きな食のイベントがあまりにも行政の負担になっているということで、その運営を取り仕切れる民間の人間を探していました。そこで、一般社団法人ノオトという団体で中島さんが事務局を担当することになったのが、こうした地域再生に関わるきっかけだったそうです。
中島さんが入社した頃、ノオトは篠山の丸山地区にある古民家を2件改装して、「集落丸山」という限界集落の活性化プロジェクトに関わっていました。その後、古い建物を改修してレストランやホテル、ギャラリーなどに作り変えていると、多くの人たちが移住して来てそこで働くようになったので、そういった動向を内閣府が見つけて「他の日本中の田舎でできないか…」と視察の依頼があったようなのです。当時は「忙しい」という理由でそういった依頼を断っていたそうですが、中島さんが視察の有料化ということを提案し、きちんとビジネスにすることになりました。すると2ヶ月で40組の皆さんが来てくださって、その中に、今回のクラシックレールウェイホテルのある人吉市の方もいたんだそうです。人吉は篠山と同じ城下町なので、古民家を城下町ホテルなどにリノベーションして地域の活性化ができるんじゃないかと思っておられたわけです。お金を払って視察に来るというその段階で、本気度が分かると中島さんは言います。
自治体は決められた予算があってそのお金を使うことが目的ですが、僕たちのような活動をしている人間は、新しいことを生み出していくのが仕事だと中島さん。その中で双方にとって共通する目的は「人が集まる」ということ。行政は人口が増えるのが嬉しい。中島さんたちは人がたくさん来ると売上が増えて事業が回るので嬉しい。どうやってその一致点を見つけて進めていくかが鍵だそうです。
民間の人間には「こんなことをやりたいのに行政はやってくれない」という不満があり、行政は「地域にプレイヤーがいないからできない」という対立構造になりがちですが、「そこに人が来たら良い」「観光してもらうだけで良い」「体験してもらうだけで良い」というように、相互の利害関係を調整して、「できる体制」を作っていくのが自分の仕事だと中島さんは言います。
自治体などで管理する廃校があると、市民スペースや資料館などにして200〜400円の入場料を取る、あるいは無料で開放するということがよくあります。するとたちまち赤字運営の施設になり、行政の財政を圧迫してしまう。こういった例は各地にたくさんあって、維持できなくなってすぐに閉館するという事態に陥ってしまうのですが、公民が連携してレストランやホテルに作り変えて収益化し、地域に雇用を生んで産業を作って行政の負担を減らすというのがノオトのやっていることだそうです。
人吉市では、ノオトのやっていることを少しアレンジして運営を行い、駅舎レストランに改修しました。月にわずか7人の駅の利用者が、現在は月間だいたい700〜864人になったそうです。
こういった取り組みを行う場合、まずその土地について詳しく調べることが大切と中島さんは言います。例えば多可町の場合、まずその土地の歴史、風土を調べて勉強することが大切。どんなことで産業をなしていたのか。播州織が栄えていた頃の人口は何人くらいだったのか。当時を偲ばせる豪商の家や自然環境など、武器になりそうなことを調べます。
そして風土。風土とは地形と気候。それから、土味(ちみ)と言われる、その土地の生産性も調べるそうです。
人吉は、九州山地に囲まれている山深いところで、加藤清正も検知に行ってあまりに山が厳しいのでこの先に人はいないだろうと引き返していったという話があるほどの場所です。相良藩が治めていた鎌倉時代から700年間殿様が変わっていない特殊なエリアで、司馬遼太郎さんの著書「街道をゆく」でも、「日本で最も豊かな隠れ里といわれる人吉」という記述があるほど豊か。米が年に二回穫れて、穫れすぎて困るからそれで焼酎を作るという歴史があるところだそうです。
そうやって、その土地のことを徹底的に調べる。観光の動向や周辺のエリアの動向なども調べる。多可町だと、篠山や丹波、姫路など、近隣の観光客の動向も調べることが大切だそうです。
「古民家を使ったホテルを人吉に造りたい」と地元から要望されたので、当時540件あった古民家の空き家のうち300件ほど見て回ったそうですが、出した結論は人吉でやっても流行らないというものでした。人吉で古民家レストランを作ったところで、全国ニュースになるぐらいすごいことをやらないと埋もれてしまい、他地域での成功事例をそのまま持ってきても失敗するというのが目に見えていたからです。
富山にきときと市場という500人ぐらいが同時に食事ができるすごい施設があって、内閣総理大臣賞をもらった漁師の奥さんがやっている食堂があります。白エビやカニが豊富に採れるし、美しい富山連峰もあっていろいろな観光的な要素があるように見える地域なのに、そこの県議会議員と話をしていたら、「中島さん、富山って何もないでしょう」と言われたそうです。
地元の人にとっては当たり前すぎて分からない。毎日それらを見ている地元の方にはなかなかその価値が感じられないというのが現状です。なので、余所者の目で見たその地域の魅力をうまく取り入れて考えていけば、必ずそこには魅力的なものが眠っているはずだと中島さんは言います。それでも人吉での古民家レストランやホテルの経営は難しいと感じたそうです。
ある新聞記者に「古民家を使って空き家対策をしたら新聞に取り上げられるか」と聞いたところ、「全国でやっていることなのでニュースにはならない」と即答されたそうです。ニュースになるには
・新規性(世界初や日本初のこと)
・社会性(社会の問題に挑戦していること)
・公共性(私利私欲のためではなく公共的なこと)
・唯一性(そこにしかないものやそこならではのもの)
・旬・時流(タイムリーな情報であること)
この5つのポイントを押さえることだそうですが、東京で多言語に翻訳されるほど発信されるためには、九州で誰もが知っている会社で、メディアにも広告をたくさん掲載しているJR九州からプレスリリースを出せば、全国ニュースになるというのが人吉での突破口だったそうです。
中島さんは飛び入りでJR九州の営業所に行って、「無人駅と駅長さんの宿舎を使って、鉄道で回れるようなレストランやホテルを作ったらおもしろいと思うので力を貸してもらえませんか」というアイデアを持ち込んだのですが、「あなた一体誰ですか?」「誰の許可をもらってそんな計画を立てているのですか?」と追い返されたそうです。
しかし思いは通じるもので、「変なやつが会社に来た」という中島さんの噂を聞きつけて、あるおじいさんが訪ねて来てくれて、人吉での構想を話すと「それはおもしろいのでもう一度一緒に行ってあげる」と言ってくれたそうです。実はその方はJR九州のOBの方で、国鉄時代の労働組合の偉い方で、一緒に熊本支社に行くと社員全員が立ち上がって「おはようございます!」と挨拶をするほどの人物だったそうです。おじいさんは早速出てきた支社長と副支社長に、「僕が死ぬまでにこのプロジェクトを実現させて欲しい」と依頼をしてくれて、そこからあっという間に話が進んだそうです。
初めて一人でJR九州の営業所を訪ねたのが2017年6月8日、7月4日にそのOBの方と再びJRを訪れ、8月28日には人吉市、JR九州、肥後銀行と中島さんたちの間で協定が結ばれていたとか。たった3ヶ月で協定を結ぶなんてありえないと思ったそうですが、熱意は通じるんですねと中島さん。
そして、2018年9月にレストランをオープン。株式会社クラシックレールウェイホテル、JR九州、人吉市、肥後銀行がタッグを組んで実現した、官民連携プロジェクトの「クラシックレールウェイホテル」のはじまりでした。
レストランやホテルの稼働を考えたときに、いちばん大変なのは平日。土日は人が来るけれど、平日は難しい。平日に来るのは、主に女子会と称して来る奥さんたちですね。女性は1,500円のランチを遠くまで食べに行ったりするわけなので、まずは女性のお客さんの心を掴むこと。後は引退した人たち。定年を迎えて時間的余裕のある熟年カップル。そこをターゲットにしようと考えたそうです。この地域の魅力は、山奥を走るJR肥薩線と豊かな食。月に7人しか利用しないような「秘境」を売りにするという逆転の発想です。
フランスに、「オーベルジュ」という言葉があります。都会で腕を磨いたシェフが次に何をするかというと、田舎に引っ越すんです。田舎のほうが新鮮な食材が手に入りますので、田舎でレストランを開く。そうすると都会から車でお客さんが来て、お料理とお酒を楽しむ。お酒を飲むと車で帰れなくなるので、泊まるしかない。レストランと宿泊施設が合体した「オーベルジュ」というのは理に叶っているんです。そういった意味では、車でしか来れない多可町はもってこいだと中島さんは言われます。そうして、人吉では「秘境のオーベルジュ」というコンセプトでいこうと決めたそうです。
「連携」というのは、やはりこういった事業を行う上では重要なことですが、やはり大きな力は協力していただいたほうが良いというのが中島さんの考えです。「将来、こういうふうになったら良いな」という展望を共有することが一番大切だと言います。JR九州の中に無人駅は291駅あるそうですが、その中でも「景色のいい駅を10駅ほど選んでレストランやホテルができたら良いですね」「貸切列車を使って回遊するようなツアーができたらいいですね」っという共通の夢みたいなものを見るのだそうです。その中で無理のない連携体制を取っていく。JR九州の場合ですと、「出資をしなくてもいいので、広報、宣伝にだけ力を貸してください」とお願いして、既存の仕事の範疇、無理のないところでのお願いをするというところがポイントだそうです。
「クラシックレールウェイホテルは成功しましたね」とよく言われるそうですが、決してそうではない。昨年の大雨で4日も5日も列車が停まってキャンセルが相次いだそうですし、全てが上手くいくわけなく、いつでも挑戦し続けていると中島さんは言います。けれども、JR西日本が視察に来たいと言ってくださったり、新たな夢がすでに動き始めているので「クラシックレイルウェイホテルプロジェクト」はすでに僕一人ではないところで回り始めているおもしろさがあると語ってくださいました。
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第二部《ディスカッション》
小椋(多可町・定住コンシェルジュ):鉄道は、日本人にとって「旅情」を誘う媒体なのかなと思いますが、そのあたりは最初から狙っておられたんでしょうか。
中島さん:メディアの方から全国ニュースにならないと人は来ないと言われていたので、結果的にJR九州さんでの展開になったわけですが、もともと鉄道が「旅情」につながるものがあるという考えはなかったですね。
僕は最初このプロジェクトを「レールウェイプロジェクト」と呼んでいたんですよ。ところがブランディングの会社の方に相談したら、一言「しょうもな…」って言われたんです(笑)。せっかく田舎の古い駅舎を使うんなら、「〜旅情で繋がる日本のふるさと〜クラシックレイルウェイプロジェクト」の方がいいんじゃないですかって。そこにいた関係者が皆が、「それがいい!」ってなりましたね。流石です。
小椋:僕個人の話ですけど、多可町には宿泊施設が多くないので自宅の古民家を使って民泊をしたりしてるんですが、個人では限界があるんですよね。やはり、「地域」という枠で見ると、大手と組むことっていうのが大切になってくるんでしょうか?
中島さん:一生懸命事業計画を作って、最後の最後に「お金がない」っていうことで頓挫するのは悲惨じゃないですか。だから絶対に銀行は口説かないといけないと思ったんで、そこは意地で巻き込みました。あと、どっからどうゆうふうに人を呼ぶのか。神戸空港に降りた人が、この多可町までどうやって来るのか。姫路城に来た人をどうやってここまで引っ張って来るか。そういうことを考えたときに、バス会社や航空会社なんかと組むのは結構いけるんじゃないかなと思います。それと、地域で頑張っている人と組むこと。例えば播州織で全部揃えるとか、農家の方。やっぱりおいしい食事というのは必須になってくると思いますよ。
黒豆の収穫で忙しいときに、農家の人に人泊めてくれって言ったら「何言ってるねん」てなるんですけど、「タダで泊まらせる代わりに収穫は朝4時から手伝ってね〜」ってなったら「それはいいかもしれない」ってなるわけです。体験したい人が求めてるのは「リアル」なんです。なので、無理のない範囲で農家の方と連携を取るのも大切かなと思います。
僕は築80年の長屋をリノベーションして住んでるんですけど、昨日から留学生を受け入れてるんですね。で、彼に「何が楽しかった?」って聞いたら、「この家がすごい!」って言うんですよ。新築じゃなくて、OLD&NEWな感じがスタイリッシュやしカッコいいって。
小椋:我が家も同じようなことをしていて、フランスから来る人たちの受け入れをしているんですけど、彼らは京都、奈良、東京、大阪と観光地も訪れているんですけど、「どこが良かった?」って聞いたらダントツで多可町って言うんですね。僕は特別なことをしているわけじゃなくて、ただ放ったらかしているだけなんですよね。
昨年来たときには、岩座神から我が家まで歩いて帰ってきたことがあるんですけど、途中に桜が咲いていてそれに感動してるんですよ。「桜って観光地にしかないと思ってたけど、こっちの方が人もいなくて綺麗やん!」って。そういう発見をすることがあるんです。
その他、彼らにとって衝撃的だったのは「無人販売所」です。「なんで、人がいないのにみんなお金を入れるの!?」って。そういうことをリアルに体験できるのが良いんでしょうね。
中島さん:そこに答えがあると思うんですけど、日本人は海外に行くと古い建物とか郊外のお城に泊まったり、ワイン畑を見たりするじゃないですか。それと同じで、「なんで田んぼを見て喜ばない外国人がいると思うんですか?」ってことです。多可町は古い日本の原風景が残ってるので、そういう風景を切り取って発信していくというのは素晴らしいんじゃないかなと思います。
小椋:こんにゃく作りも教えてもらったんですよ。知り合いのおばあちゃんが日常的に作っているこんにゃくなんですけど、その日常的な行為が、外国人の「先生」になれるんですよね。それこそが本当の「敬老の日・発祥」の意味で、高齢者が輝く地域の魅力だと思うんです。
中島さん:今日、これから僕、留学生とお神輿担ぐんですけど、何の説明もしてないんですけど、多分喜ぶと思います。
この間、長崎県の南島原市に行ってきたんですが、そこに農家民宿176件束ねている自治体職員がいたんですよ!すごくないですか?そこで、修学旅行生を年間14,000人受け入れてるそうです。そういうアプローチも有りかもしれませんよね。それこそ、本当の「体験」で、イチゴ農家とかだと、夜中2時起きで手伝わされるんですけど、修学旅行生ものすごい喜んで帰るらしいです。
小椋:多可町には公共交通機関がほぼないので、泊まる場所を確保するということが大きなキーワードのような気がします。
中島さん:そうですね。民泊って法律で180日規制がありますが、逆に安心だと思うんですね。MAX50%稼働ですから。200日やれって言われたら「いや、本業あるし」て断れるシステムなんです。田植えや収穫の忙しい時期だけ手伝いに来てくれるシステムだって考えたら、うまく利用すれば良いので、考え方次第だと思います。
小椋:多可町の人って、新しいことを始めようとしてる人を応援してくれる気質があると思うんです。
中島さん:おそらく播州織という紡績を受け入れたということは、異文化を取り入れる素地が元々あるんじゃないかと思います。どこで聞いたか忘れましたけど、まだ日本に車が何台しかない時代に、多可町にはあったって聞きましたよ。テレビも、町に1台とかしか普及していないときに、個人宅で何台か持ってたとか…。だから先進的なものを受け入れる素地がおありなんだと思います。
重要なことはどこをターゲットにしてどんなサービスをするか。そしてそれをどう宣伝するか。あと、大企業とどう組むかですね。地域を愛している、半公共的な立場の人がいるといいですね。ホント、この地域はおもしろいですよ。