VOL. 4

伊藤 道司さん&伊藤 慶子さん

地区:加美区清水

定年したら、いつかは田舎暮らしをしたいという思いを持っておられた伊藤さんご夫婦。ご主人の道司さんは2006年に「NPO法人 ひょうご地域防災サポート隊」を設立し、各地で防災についての講演活動なども行っておられましたが、その活動もようやく一段落し、加美区の清水で夫婦お二人の田舎暮らしを満喫しておられます。
多可町内にもたくさんの空き家が目に付くので、「町として空き家対策をもっと進めないと」という問題意識を持っておられ、移住を考えている人の受け皿を作る重要性についても熱く語ってくださいました。 (H29.02.07))

伊藤 道司さん(NPO法人 ひょうご地域防災サポート隊会長)
伊藤 慶子さん

  • 茅葺屋根の古民家を求めて

    道司さん:僕たちは新しいカタチの家には住む気がなかったので、空き家を巡ってここに決めるまでに数々の古い民家を見てきました。多可町にもたくさん空き家になってしまった民家があって、とてももったいないと感じています。
      家が朽ちてしまう前に早く行政がそれを把握して何らかの対策をとっていかないと、町ののどかな風景を生み出しているせっかくの家がどんどんダメになっていくように思います。

    慶子さん:私は、石垣のある村とか茅葺屋根の家に住みたいという希望があって、小さい頃に経験していた田舎暮らし、昭和の暮らしがしたいなとずっと思っていたんです。定年になったら田舎に住むつもりで、50代半ばぐらいからあちこち見て回っていたんですけど、空き家が見つかってもなかなか手放してくれないところが多かったんです。
     実は私たち、3年ほど岩座神の棚田のオーナーだったことがあるんですよ。それで岩座神がとても気に入ってそこに住みたかったんですけど、残念なことに物件がなかったんです。


  • 家が泣いているように見える

    慶子さん:主人は公務員だったので、若い頃はあちこち転々としたんですけど、30年ほど前に姫路の隣にある揖保郡太子町という町に引っ越ししました。そこには石垣に囲まれた田んぼや水路があってとても良かったんですが、ほ場整備で小川も石垣も全部コンクリートで固められて、だんだん変わってしまいました。それで、もっと自分のイメージに合うところに住みたいなと思うようになったんです。
     主人はこの近くの黒田庄の出身なので、田舎に住むならその近くに…と思って物件を探し始めました。
    空き家って遠くから見ても分かるでしょう?家が泣いてるんですよね。何だか寂しげなんです。私はとにかく茅葺屋根の家という条件で探していたんです。…屋根をかなり修理しないといけないような物件ばかりで諦めかけてたところに、今の家に巡りあったんです。

    道司さん:僕はそれまで自分の好きなことばかりやってきて家内にたくさん迷惑をかけてきたから、「うん、そうやなー。そうやなー」って家内の意見に賛成しました。
     ほんとに、家は人が住まなくなって雨漏りするようになったらもうダメです。町の財産という意味だけではなく、それまでに住んでいた人たちの歴史や文化なども失われてしまうので、何とか守っていく方法を考えないと…。


  • 清水での生活と古民家への思い

    道司さん:多可町には電車も走っていない、高速道路もない、だからこそ田舎の良さが今でも残っているんだと思います。
    慶子さん:澄んだ川の水を見たときに、「絶対ここがいい!」と思って多可町に住みたいと思いました。2006年だったかな…主人はまだ仕事をしていたので、先に私が一人で移り住みました。

    道司さん:妻が移り住んでからは週末にはこちらに通っていましたが、本格的に僕も移住したのは随分後で、仕事やNPOの活動がひと段落したので、5年前にここに引っ越して来ました。ここの人たちと景観が好きで、やって来た訳です。

    慶子さん:私たちぐらいの年代の人は、「多可町ってエエとこでしょ」って言われる方が多いんですけど、若い人はあまり言わないんじゃないかな…。
     多可町に住んでいる人が、自分の地域のことを良いところと思えるようにしないといけませんね。
    道司さん:自分の子供たちにも多可町の良いところを見せてあげようと思って、撮り溜めた写真を使って「加美・清水の郷だより」というのを作っています。
     こうして見てみると、杉原紙の紙漉きや播州織、播州歌舞伎、中野間の祭りなど、この地域にはいろんな文化や習慣が残っているのが伝わるでしょ。

    慶子さん:この家の周りに石垣があって、それを見てるととても和むんですよ。大きな栗の木が枝を広げていて、この家を守ってくれているように見えました。昔体験した田舎暮らしの風景と合ったのかな。ほとんど即決でしたね。
     こういう家が消えて無くなっていくのがものすごく悲しくてね、出来ることならどんどん自分で買って守っていきたいくらいなんだけどね。誰かが守らないと、減っていく一方だから…。私が生きている間は、この家を守ってやりたいなと思っています。

    道司さん:空き家っていうのは3年もすればすごく傷んでくるから、持ち主の考えひとつで活かされるか朽ちていくかが決まりますよね。町が空き家の持ち主を説得できるだけの懐の深さを持つかどうかじゃないでしょうか。
     すでにあちこちの市町で取り組み始めていますが、売ってしまわなくても誰かに住んでもらうだけで良いんです。賃貸でも良いじゃないですか。子どもの教育環境もとても良いですし、ここでは豊かな生活ができるんじゃないかと感じています。
     とにかく、人に住んでもらうということが大切だと思っています。


  • 母の願い

    慶子さん:田舎暮らしを選んだもう一つの理由ですが、私たちには子供が4人いるんですけど、もし何かあったときに帰って来れる場所を用意しておいてやりたいなと思ったんです。都会で大きな家を買うとなると莫大なお金がいるでしょう。でもここなら離れはあるし、納屋も少し手を入れれば住むことができるので、子供たちにもし何かあったとしても、「帰っておいで」って言える。そんなこともあって田舎暮らしを選んだんです。
     私も小さい頃、母の親戚の家の納屋を借りて暮らしていたことがあるんですが、一つの火を囲んで家族で生活するっていうことがとても良かったんです。この家も、床板を外したら囲炉裏があるんじゃないかと思っているんですけど、そんな風に家族で火を囲むっていうのが憧れですね。
     物が無くて、何でも自分で作らなければ食べることさえままならなかった戦後の暮らしは、幼かった私にはよく分かっていなかったと思うけど、皆が貧しかったので、助け合って、分け合って生活していたように記憶しています。だから、当時のことを思うと、心があたたかくなってくるんです。

    道司さん:妻はこっちに越してきてから、ホントにここでの暮らしを楽しんでいると思いますよ。早く決断して良かったと思っています。


  • 田舎暮らしで感じる不便さ

    慶子さん:5年前に癌が見つかって、姫路の大きな病院で手術を受けました。運が良いことに手術は手順よく進んで助かりましたが、設備の整った病院と直結していないのは少し不安ですね。やっぱり病気の程度によっては近くの小さな病院では対応できないこともありますから…。

    道司さん:まぁ、それは仕方のないことだから、そのときになって考えるしかないんですけどね。
     僕もこの辺りに住む一人暮らしのおばあちゃんとかのことを考えると、不便だろうな…と思うんですよ。好きなときに買い物や病院に、ひとりでは行けないからね。ヘルパーさんに頼むか、連れて行ってもらうかしか方法がないですからね。
     何とかできる方法はないかなと思いますね。何回も人に頼むことになると、どうしても遠慮がちになってしまうので、そこらへんをきっちり割り切って、行きやすく頼みやすい制度が作れないかと考えたりもします。


  • 防災への取り組みとこれから

    道司さん:きっかけは、県庁に務めていたときに経験した阪神淡路大震災です。ちょうどそのとき、県の課長をしていたのでとても大変でした。
     1月に震災が起こってから4月に入る頃まで県庁に寝泊まりをして対応したんですが、その後も震災復興事業に取り組んできました。
     2001年には明石市に行くことになって、今度は明石歩道橋事故や大蔵海岸の陥没事故がありました。僕が調査委員会を立ち上げることになり、危機管理についていろいろ思うところがあったので、2006年に「NPO法人 ひょうご地域防災サポート隊」を立ち上げました。
     それから10年間、いろいろなところで講演や防災行動計画づくりなどをやってきましたが、今年7月には75歳になるのでいろんなことを少し減らしていこうと思っています。 今年からは、妻に畑を任されたので農協の野菜づくり教室に申し込んで来たところです。今年からまたチャレンジです。
     防災については、ひょうご防災特別推進委員として今まで培ってきた知恵を活かし、近くでできることをしようと思っています。
     土砂災害のこととか、多可町では都心部とは違った災害対策が必要になりますし、町内の各集落ごとの防災計画づくりも大切なので、これらに少しでも役に立つことができれば嬉しいですね。