VOL. 11

森 真菜美 さん

地区:加美区熊野部

2016年の冬に加美区熊野部に越してこられた森さん。自宅の古民家を使って「熊野部接骨院」を創業し、ずっと目標にしてきた田舎での暮らしと開業を同時に実現。多可町での暮らしを満喫しています。草刈り機の使い方も知らなかった森さんですが、300坪ほどある自宅の敷地の一角を整備して、ご近所さんから指導を仰ぎながら家庭菜園にもチャレンジしはじめました。移住前に思い描いていたことや、越して来た後のこのまちでの暮らしなどについて話をお聞きしました。(H30.11.26)

森 真菜美さん(熊野部接骨院・院長)

熊野部接骨院

https://taka-cho.wixsite.com/kumanobe

  • お客さんが喜ぶ姿

     小学生6年のときまで大阪府堺市の泉北ニュータウンというところで育ちました。今はすごい住宅地になっていて私が遊んでいたところも切り拓かれて無くなっちゃたんですけど、子どもの頃にはニュータウンの境界あたりにはまだ自然が残っていて、朝から夕方まで山の中とかに入って行って虫採りをするような子どもでした。学校では女の子と一緒に遊んでいるけど、家に帰ると男の子と一緒に外で遊ぶことが多かったですね。子どもの頃に大分県の田舎に行ったことがあるのですが、たくさんカエルとかがいて、「田舎っていいな〜」って思ったことがあるので、子どもの頃から田舎での生活には興味があったんだと思います。
     父は散髪屋をしていましたし、母も私が生まれるまでは同じ店で美容師をしていたので、いわゆる会社員のような家庭ではなかったんです。父方の祖父も散髪屋だったんですが、私が中学に入るときに父の実家の尼崎のお店を継ぐことになって、そこに引っ越しをしました。親の仕事柄、直接お客さんと関わる仕事で、お客さんが喜んでくれたり感謝してくれる姿を見て育ったので、仕事っていうのはそういうものだと思っていました。自分が接骨院での仕事を選んだのも、きっとそういうことが影響しているんだと思います。


  • その土地の良さ

     中学生の入学と同時に尼崎に引っ越しました。まったく自然がなかったし、国道にはバンバン車が走っていたのですごく空気が悪くて、最初はあまり好きではありませんでした。学校に行くまでの間だけでも、ずっと排気ガスの匂いがしていたんですよね。それまで、国道沿いとかそういったところに住んだことがなかったので…。
     でも、もう少し大人になってから感じたことなんだけど、尼崎の人って全然知らない人同士でもいろいろ話しかけてくれるし、スーパーとか商店街に買い物に行って野菜を選んでいると、「こっちの大根の方が美味しいからこれにしとき」って勝手に買い物かごに入れてある大根を入れ替えたりしてくれて、世話好きというか、すごくフレンドリーで。知らない人同士の距離が近いんですよね。子ども連れでお店に行ったら、「これも食べ」っていっぱい料理が出てきたり、知らない人がお小遣いをくれたり。
     やっぱり「人」なのかな…。多可町の人もすごく素敵なんですけど、尼崎はそれとは違う雰囲気を持った距離感なんです。人との垣根がないところが好き。ちょっと特殊なんじゃないかなと思いますけど(笑)

  • ソフトボール部での青春時代〜肘の故障

     中学、高校とずっとソフトボール部に入っていました。特に大会で優勝したりするようなチームではなかったんですけど、ポジションはセカンドでキャプテンだったときもありました。ソフトボールが楽しくて楽しくて、休みのときも家族で旅行に行ったりするよりもずっと練習ばかりしていました。当時の友達は部活のときの仲間で、やっぱり今でも特別な存在です。
     私のボールの投げ方が悪かったのかもしれないんですけど、高校1年生のときに右の肘を痛めてしまいました。一時期は、肘を押さえていないと痛くてどうしようもないぐらいヒドかったのですが、何件も接骨院を回っても全然良くならなくて、なかなか良い先生に巡り会えませんでした。
     ある日出会った先生に、「投げ方どうしてるの?」って聞かれたのでやってみせたら、その場で「それは肘に負担がかかるから絶対ダメ」って言われました。そして、投げ方のフォームそのものから指導をしてくれて、なぜ自分のフォームがダメなのかということに納得ができたんです。
     最初は、その先生がたまたま球技の経験がある人だと思っていたのですが、実はまったくそういった経験がない方だったんです。「そんなの、体の構造を知っていたら分かる」って言われて、すごいな〜、体のことを知っているって、そういうことなんだと思いました。それで接骨院っていうものに憧れを持ちました。

  • 接骨院での仕事

     もともと我が家はあまり裕福ではなかったのですが、ちょうどその頃両親が離婚して、母と一緒に同じ尼崎の中の小さな長屋のようなところに引っ越しをしました。なので私もバイトをしていましたけど、将来、接骨院で仕事をしたいと思ったので、「どんなかたちでも良いから使ってください!」ってその先生に頼み込んで働かせてもらうことになりました。
     ソフトボールが強い学校に入りたくて、でも私は勉強特待で入ったんですね。その他のソフトボール部の子たちは、ホントにもうそれだけのため青春を過ごしている!っていう感じで毎日始発から夜まで練習していました。私は特進コースだったので他の部活の子たちと同じようにはできないこともあって、部活の仲間にも申し訳ない気持ちがあったし、かと言って休み時間の短い間でもできるだけ筋トレとかしていたので特進コースの子たちともちょっと違う感じでした。いじめられたり仲間はずれにされていた訳ではないんですけど、何となくちょっと浮いた感じのような寂しいなという感覚を持っていました。それに、自分の中では将来、接骨院の仕事をするという目標が出来て、何のために学校の勉強をするのかという目的も無くなっちゃったんです。それで、2年生から地元の高校に変わりました。もう学歴はいいかな…と思って。
     そんなときに、些細なことだったんですけど母親とケンカをして、「出て行け!」って言われたので口車に乗ってしまって、「それなら出ていくわ!」って。何年も家を出ることになったんです。でも、バイトもしていたので生活するためのお金は持っていましたし、住むところを点々としながら学校には通っていました。高校を出ないと接骨院で働くための資格を取る専門学校にも行けなくなりますから。


  • 専門学校への入学と出産

     そのまま高校を卒業したんですけど、専門学校に通うお金を貯めるために接骨院以外にもバイトを掛け持ちしながら、卒業後はひたすら仕事をしました。年に2日ぐらいしか休まずに、ずっと掛け持ちでパンパンに仕事を詰め込んで働きました。仕事も勉強も好きなので、寝る時間がもったいないと思いながら過ごしていて、3、4日に1回しか寝ない生活をしていましたね。その生活も楽しかったのでちょっと間が空いてしまいましたが、専門学校に入学したのは私が22歳のときです。
     3年間勉強しましたけど、在学中に妊娠して24歳で子どもを産みました。娘は一人で育てることになって、その頃には母親とも仲直りしていましたので一緒に住んだこともあるんですけど、結局、別々に生活をするほうが良いということで、基本的にはそれからずっと娘と二人暮らしの生活をしてきました。
     求人は学校にたくさんあって、専門学校の仲間たちは卒業と同時にその分野の仕事をする人がほとんどでした。本当は救急外来がある病院に就職して外傷を診たいと思っていましたが、子どもが小さいとなかなかそういう仕事に着くわけにもいかなかったので、夕方まで預かってくれるところを探して普通のバイトもしながら子育てをしました。幸い娘は体が丈夫な子だったので、幼稚園の年中ぐらいのときにはリハビリ科がある病院で働き始めることができました。
     子どもが小さいときには物理的にできないことがたくさんあるんですが、本当は娘が中学生・高校生とかになったら夜も診察をしたいし、ここだけじゃなくて町中にも店舗を出したいと思っています。もっともっとどんどん仕事がしたいけど、我慢をするのは「今だけ」と自分に言い聞かせて、今は子育てを最優先に生活をしています。娘にとって母親は私しかいないので。

  • 田舎暮らしへの準備

     娘が生まれてすぐから、田舎で子育てしたいと思っていました。娘が小学生に上がるまでには移住先を見つけたくて、まず車の免許を取りました。赤ちゃんのときには無理だったんですけど、娘が2、3歳のときだったかな…。
     ちょうど自分にとって良い運気のときに引っ越しをしたかったので、それに合わせてエリア探しをし始めました。田舎暮らしの条件っていうのは決まっていて、家が大通り沿いじゃなくて、田舎と言ってもバス通学をしなくても良い場所、そして近所に同い年の女の子の友達がいて、近くに泳げる川があるというのが必須でした。
     東京にある「花まる学習会」という、自然を通して生きる力を身につける子どもを育てることを目的とした塾に通わせたかったので、最初は東京に通える田舎として山梨県で移住先を探していました。そしたら、関西にも教室ができることになって、母親と離れるのも心配だったので関西圏で探すことにしたんです。

  • 移住先探しのハードル

     移住先を探すのにはすごく苦労しました。「ここに住みたい!」という具体的な場所が決まってなかったので、最初は電車の終着駅に行けば田舎だろうと思ってあっちこっち行ってみましたが、イメージどおりの場所はありませんでした。結局、車で行かないと思い通りの場所は探せないというのが分かってきたんですけど、そのときは車を持っていなかったのでグーグル・アースの航空写真を見て場所を特定して、そのエリアの空き家バンクをネットで探したりしていました。
     実際に不動産屋さんに案内してもらうときはレンタカーを借りて行っていましたが、費用と時間をかけて見に行ってもなかなかイメージ通りの地域や物件には巡り合えませんでしたし、「あなたみたいな若いシングルの子は田舎暮らし絶対無理無理」「ちゃんと家賃払い続けれるの?」みたいなことを言われて、案内すらしてもらえないこともありました。
     本当だったら外で遊びたいだろうな〜っていう子どもを、慣れない運転で丸一日連れ回した結果、がっかりしながら帰ってくるということの繰り返しでしたので、車を持っていない家庭が物件探しをするのはホントにハードルが高いことだなと感じました。


  • 多可町との出会い

     最初は空き家バンクでした。役場に連絡して物件案内をしてもらうことになったんですが、多可町には定住コンシェルジュという人がいるということで、役場の人が連れて行ってくれたんです。雪の日だったんですごく良く覚えています。その家が今住んでいる古民家なんですが、茅葺きの三角屋根で、最初に見た瞬間から「私はこの家に住む!」「かわいい!!」って思いました。コンシェルジュの家に行くまでの道も、多可町に入った辺りから周りの景色もすごくいい感じでしたし、開けているけど山に囲まれていて運転しながらワクワクしていました。
     見に行ったときには、母屋の中にキッチンが無くて外の蛇口しか使えない状態だったし、トイレも一度外に出ないと行けないって聞いていましたけど、それは全然問題じゃないと思いました。それぐらい気に入ったんですよ。接骨院を開業するためには出入り口が2つないと許可が下りないのでそれは重要なポイントでしたが、幸いこの家には最初から玄関の他に勝手口があったので、私にとっては最適の物件だったんです。しかも、うまくこの家を買って貸してくださる方が間に入ってくれたので、購入じゃなくて賃貸で住めることになりました。
     なので娘が小学生に上がる直前のタイミングで、多可町への移住が決まりました。


  • 多可町での暮らし

     移住してくる前は、私ぐらいの歳で違う場所に越してきたらなかなか友達ができないんじゃないかな…と思っていましたし、子どもがまわりの子になじめるか不安で、はみ子にされたらどこでもいいから逃げようと思っていました。でも、松井小学校を見に行ったら、門の外に居てただけで、子どもが「こんにちはー」って言ってくれて、大丈夫そうだと安心しました。今では一緒に川遊びに行ったりするママ友もたくさんできましたし、中にはホントに「親友」って思える大好きな友達ができました。
    越して来てすぐ、地元の古民家改修のボランティア団体の人たちが大掃除や床張りなどを手伝ってくれたのでとても心強かったです。中には移住をして来られた人もいて、やっぱり同じ移住経験者だと多可町のことや田舎暮らしのことを話すと同じ気持ちを共有できるのでとても嬉しいです。
     もらってきた流し台で台所も室内に作ってくれたので、ホントに感謝です。今思うと、この寒さの中で外で洗い物なんて考えられないです(笑)
      ご近所のおじいちゃんおばあちゃんがホントに素敵な人ばかりで、いつも畑仕事を教えてもらったり野菜をいただいたりするので、いつか何かをお返しできたら良いなと思っています。きっと永遠にお返しはできないと思うのですが、どうしようかなあというくらい良い人ばっかり。嫌な人ゼロです。それってすごいことですよね!?逆に、私が気が付かないところで、周りに嫌な思いをさせていないか心配になるぐらいです。何か思ってたら言ってほしいです。

     畑は子どもに無農薬のものを食べさせようと、それで作物がどうやって成長するかを見せようとして始めましたが、私、土いじり好きかもしれない…っていうか、好きやなーと思います。今まで接骨院しか楽しいと思ったことがなかったし、趣味を持ったことがなかったんですけど。そして川遊びめっちゃしてます。夏はほぼ皆勤賞ぐらい行ってます。ご近所や患者さんに畑仕事を教えてもらったり、種をわけっこしたり、私、多可町に合ってたと思います。めっちゃ楽しいです。
     移住してきたときに役場でいろんな手続きをしたんですけど、多可町にまったく身寄りがいないっていうことやシングルマザーだっていうことを伝えたら、窓口の人が「自分の担当じゃないけど、困ったことがあったら何でも相談に来てよ。ひとりで抱え込んだらあかんよ」って言ってくれてすごく感動しました。これまで、他のところでは「ホントにシングルなのか」とか「なんで旦那がいないんだ」とか根堀葉掘り聞かれて嫌な思いをすることが多かったんですけど、ここのまちの人は温かい人が多いなと思いました。接骨院の開業のときも、腕には自信がありましたが、商工会とかもがいろいろアドバイスをくれたのでとても心強かったです。多くの人が助けてくれようとしてくれるのがよくわかります。


  • これからの夢

     もちろん接骨院でバリバリ仕事をしたいですが、今後は庭の一角で鶏を飼ってみたいし、地域の中で子どもが安心して遊べるように、遊具を作ったりできるように大工仕事も学びたいなと思っています。
     いろんな患者さんを診るうちに、子どもの手が離れたら大学に行き直したいと思っていますし、患者さんのことともつながってくるんですが、町内の移動手段のこととかも何か良い仕組みを考えたいなと思っています。大それた夢ですけど、そういうことを考えていると毎日ホントに楽しいです。
     田舎で生活をしてみたいな〜って思っている若い人たちに、このまちにもっと来てほしいですね。私もお友達になりたいですし、多可町はホントに良いところなのでおすすめです。田舎に行ったら仕事が無いって言いますけど、探してみると普通にいっぱいありますよ。買い物するところも無いって言う人がいますけど、Aコープでちゃんと食材は揃いますし、ちょっと行ったら大きなスーパーもあるので、何も不便なことはないです。それに、私みたいに畑をしたことがない人間でも、周りに助けてもらいながらほぼ自分たちで食べる野菜は作れているので、やってみたらできないことはないんじゃないかなと思います。小学校は「そりゃ、素直な子しか育たんわ!」っていうぐらい親切ですし。
     自分のやりたいことはいつでもできるけど、子どものことは待ったなしで今しかできない。私の生活は子どもが中心にあって、でもやりたいこともあって、確実にそこへ向かって進んでいるのがよくわかります。