VOL. 7

あんこ さん

地区:八千代区大和(中三原)

 14年間のサーカス団員生活を経て、現在は独立しフリーのパフォーマーとして活躍中のあんこさん。「あんこ」は芸名で、日本的な言葉でどこか愛嬌のある響きなので選んだとのこと。廃校になった八千代西小学校の体育館で日々練習に励む彼女に、今後の夢やこの町に対する思いなどをうかがってきました (H29.05.25)

あんこさん(パフォーマー/サーカス研究所「アクロモンキー」所長)

サーカス研究所「アクロモンキー」

https://coubic.com/acromonkey

  • 運動大好き・活発な子ども

     私は大阪生まれの大阪育ちです。母は小学校の先生で、父は中学を卒業してから定年退職まで工場で勤め上げた、とても真面目で素晴らしい人です。二人の出会いは趣味の登山だったようです。その両親の元で育った私は、友達はディズニーランドとかに連れて行ってもらっているのに、恐ろしい山に連れて行かされて、山といえば息が苦しいような状態の記憶しかないので登山が嫌いになりました。
     子どもの頃は鬼ごっこマスターの活発な子どもで、運動が得意だったので高校ではテニスにも打ち込んでいました。高校卒業後、大学を目指したのは何か目標があったわけではなく、「大学ってどんな所だろう」という興味もあったし、皆が行くから行こうと思ってただけだったと思います。自分の中で、「自分はこれから、一体何をしたいんだろう…」って、何かを探してたというのもあると思います。


  • サーカスに入団

     特に子どもの頃から団員になりたかったという訳ではなくて、大学入試に失敗したときにお金を貯めようとアルバイト情報誌を見ていたら、「サーカス団員募集」という文字がたまたま目に入ってきたからなんです。何だかその言葉が私の心にすっと入ってきたので、早速応募して高校卒業の翌日くらいにはもう入団していました。
     興味本位で入団したんですけど、やっているうちにサーカスのことが大好きになって、それからはずっとサーカスのことばかり考えてきました。子どもの頃にボリショイサーカスを見に行ったことはあるんですが、そのときは全然興味がなかったんですけどね。もしサーカスと出会ってなかったら、アルバイトをして大学を目指していたと思います。


  • 移動・移動の生活

     名古屋で面接を受けて、最初は東京の舞台に出ました。サーカスはいろんな場所を3ヶ月単位で転々としますが、だいたい50人くらいで移動します。テントの裏にコンテナがずら~っと並んでいて、とても厳しい共同生活でした。サーカスってこういう技じゃないとダメっていう決まりはなくて、お客さんに喜んでもらえてびっくりするような技をすれば何をしてもいいんですよ。動物のショーやマジックやダンス、歌など多岐にわたっていますが実はとても奥が深いんですよ、サーカスって。
     そんなサーカス団での生活で、忍耐力を鍛えられました。すぐ辞める人もたくさんいましたが、私は年齢も17歳だったってこともあったんでしょうけど、とにかくやること成すこと何でも楽しかったんです。
     最初は舞台のピンスポットの係でしたが、中国雑技団の先生に身体を思いっきり柔らかくしてもらいました。毎日2時間の練習が苦痛でとても大変でしたが、継続して1年くらいやってもらいましたので、おかげで本当に柔らかくなりました。
     始めは一輪車と吊りロープの芸からスタートしました。その後、足芸(足を使った曲芸)をやらないかと言われて練習しましたが、それがとても自分の性に合ったというか、その芸に惹き込まれていきました。足で傘を回したり、ふすまを回したり…日本では10人もいない芸人の一人なんですよ。


  • フリーの大道芸人へのあこがれ

     3年前にフリーになりました。それは、演出家や振付師に決められたショーではなくて、自分がしたいショーをやりたいという思いが強かったからです。
     サーカス芸人ってそれぞれ担当があるので各ショーの中で毎日同じことをするんですけど、多い日は1日4回、平日でも2回やるんです。決められたショーでは、何も変えない…というか変えてはいけないんですよね。挨拶の仕方一つ変えないんです。
     それを10年も続けていたら、自分のしたいことっていうのが何となく自分でもわかってきて、いろいろあって独立することにしました。私はシュールな笑いの芸がしたかったんですよ。技だけではなく、表現で人を笑わせたかったんですよね。サーカス団にいるときから、そういう自分の世界観でショーをしたいと思ってたんです。
     フリーでパフォーマンスをしている人は少ないんですけど、サーカスが大好きでエンターテインメントが本当に好きなので、世界中のいろんなショーがあることを知った上で一人のパフォーマーとして生きていこうと思いました。辞めてからは、居酒屋でのバイトなどいろんな仕事をしてきました。14年間サーカス団員としての生活をしてきたので、外の世界で働くことがとても楽しかったです。
    サーカス団を出てしまうと、個人では1時間のショーとかはできなかったんですよ。大道芸人に憧れていたし、どうしても自分でやりたいショーがあったので、まずは東京や大阪の公園や広場などで大道芸をするために自治体の審査を経て取得するライセンスを取るために、20分のショーを作り始めました。
     ただ、大道芸って教えてくれる人なんていないんですよね。サーカス団に所属しているときは2千人の前でパフォーマンスをすることができても、自分個人で20分間のショーを創り上げることはとても難しくて、東京都の大道芸等のライセンス資格「ヘブンアーティスト」という日本で一番難しいといわれているライセンスの試験を受けたんですけど、それまで大道芸ってやったことがなかったので結果は散々でした。その後合格しましたが、独立して最初の大きなハードルでしたね。
     この3年間は友達と組んでやったこともあるしショーパブでパフォーマンスしたり、団体に属したり、いろいろ活動の場が広がるように模索しています。


  • 天井が高い練習場が欲しい!

     今も私のショーは全然パーフェクトではないけど、どんどんいろんなことにチャレンジして作ってみて、なんとなくはイメージに近いものができるようになってきました。
     頭の中にはすごい理想のかたちがあって、私の道具を見ていただいたらわかると思うんですけど、どれもすごく大きいんですよ。高い天井がないとダメだし、風があってもダメ。それを突き詰めていったら、結局、大阪には練習場がなかったんです。それでアルバイトを朝6時から昼の2時までして、練習は時間をかけて遠い京都まで行ってました。しかも、練習場の使用料が結構高くつくので困っていました。
     そんなとき、とある広場で大道芸をしていたら多可町在住の書家・ごとうみのるさんに出会って。練習場所の件について相談したら、タイミング良く多可町の「NPO法人チイプロ」さんが借りておられるここの体育館を使わせてもらえることになったんです。それでようやく、1時間かけて京都に通っていた生活から抜け出すことができました。ここだったら道具も組み立てたまま置いておけるし、いつでも好きなように練習できるので、自分の目指す技を早く習得できるように頑張りたいと思っています。  八千代のこの地区って、多可町の中でもとりわけ自然が豊かな田舎なんです。サーカス団にいた頃は本当にあちこちいろんな土地を転々と渡り歩く生活だったので、ここに来ることも全然抵抗がありませんでした。私の人生ってむしろ移動していることの方が多かったし、コンテナ生活で隣にキリンなどの動物が一緒にいるのもよくあることだったので、生活の心配よりも、練習場所が見つかったことの喜びの方が大きくてとても幸せです。
     ひと目でここが気に入って、昨年の12月に多可町に移住してきました。


  • 多可町に拠点を置いて

     私の今年の目標のひとつは、日本の大きな大会に1回出ることと海外のサーカス団のオーディションを受けることです。海外でもショーをやってみたいです。今、取り組んでいるショーは1時間くらいのもので、これを自分でプロデュースしていろんな人に観てもらうことができるのが理想です。「私はこんなショーができます!」「こんな世界観を持っています!」というのをいろんな人に知ってもらいたいです。
     練習は少なくとも一日4時間はしています。資金的にはまだまだ厳しいですが、今の多可町の仕事場では先輩の方たちと一緒に食事をしたりして、手作りのご飯やお野菜をいただいたりするんですが、そんな普通のことが「私って、今、平和で安定しているな~」って思えて心が豊かになります。
     少し前から、サーカス研究所「アクロモンキー」を立ち上げて、サーカススクールを開講しました。現在、受講生を募集中ですが、子どもたちだけではなくて、運動不足解消や身体を軟らかくしたい主婦の方やエンターティナーを目指す方にも気軽に来ていただいて、サーカスの楽しさを知っていただけたらと思っています。