VOL. 8

吉田 昇平 さん

地区:八千代区中野間

 2017年2月に、八千代区にオーダーメイドシューズの専門店「セントラル フットウェア サービス」をオープンさせた吉田昇平さん。8年前に奥様のご実家がある八千代区に移住され、2016年頃から自宅のガレージをリノベーションして憧れのアメリカンスタイルの工房を持つことを計画。こだわりの品がいたるところに置かれた空間は、どこを切り取っても一枚の絵のようです。
 好きな物に囲まれて仕事ができる今の生活を満喫されている吉田さんに、お話をうかがいました。 (H30.02.27)

吉田 昇平さん(セントラル フットウェア サービス・代表)

セントラル フットウェア サービス

https://cfs-shoes.com/

  • 自分らしい生き方を探して

     僕は生まれは阪神間なんですが、3歳の時に西脇に引っ越しました。それからずっと西脇で育って、高校は多可高校。大学は尼崎の大学へ4年間通い、卒業後に西脇に帰ってきて小野で就職しました。でも、入ったらすぐに営業に回されて、月曜に会社に行ったら週末まで家に帰れないような生活で、そんな仕事の仕方は自分には合わないなと思って辞めたんです。高校の時から自分でも薄々サラリーマンじゃない生き方のほうが自分に合っているんじゃないかと思うところがあったんですけど、やっぱりそうでした。
     父親がサラリーマンで、それこそ朝僕が起きる前に家を出て、寝た後に帰ってきていて、それが子どもながらに嫌やったんですよね。自分が子どもを育てる時は、もっと一緒にいる時間を作りたいと思ってたんです。会社を辞めた後は、最初はケータリングのアルバイトをしていたんですが、それをきっかけに料理に興味を持つようになって、その後、西脇の飲食店でのアルバイトを経て、そこに就職しました。2年半くらいずっと厨房で料理を作っていたので、そのときに調理師免許も取りました。奥さんと知り合ったのはその頃です。奥さんは僕の幼馴染が勤めていた会社で働いていたんですけど、当時2人ともフォルクスワーゲンのゴルフっていう車に乗っていて、気が合うんじゃないかって紹介されたんです。

  • いちばん大切な時間

     ずっと料理を作っていて、いずれは自分の店を持ちたいな~と思っていたんですが、彼女もできて「ちょっと待て…」って。よく考えたら喫茶店こそ子どもとの時間が取れない商売なんじゃないかって気づいたんですよ。僕のイメージの中で一番大切なのは、将来持つであろう家族との時間やったんです。それと、僕の作った料理を食べて、「美味しい」と言ってくれる言葉や笑顔はそれはそれで嬉しいんですけど、食べたらあっという間に無くなっちゃうでしょ。それが嫌で、自分が作ったものが人の役に立って、形としてちゃんと残る仕事で次の道を探そうかなって思い始めました。27歳になる年に、「このまま大人になられへんから、別の道考えるわ」って、彼女に待ってもらいました。


  • 靴職人としての第一歩

     やっぱり物作りが好きだから、そっちの道へ行こうと考えた時に最初に思いついたのが義肢装具士なんですよ。義足とかサポーターを作る仕事です。医療行為ですし、人を助けるような仕事なので良いかなと思って…。それで、専門学校を探したら兵庫県には三田にひとつしかなくて、さっそく資料請求したんです。それが、神戸医療福祉専門学校 三田校っていう学校だったんですけど、そこに整形靴科というのを見つけたんです。
     僕自身、ずっと巻き爪というトラブルを抱えていたこともあって、あっ、これなら自分に合う靴も作れるしって思いました。僕は足がものすごく大きいんですよ。29〜30センチもあって、だから普通の靴屋さんではなかなか売ってなくて、自分で作れたらいいなと思ったんです。あと、足の不自由な従兄弟がいて、その子が装具のユーザーだったってこともあるんですけど、そういう思いがあって整形靴科に進むことに決めました。

  • 整形靴とは?

     整形靴っていうのは、医療靴なんですよ。多くは整形外科でなんですが、医療的に足を支えなければならない靴が必要と判断された場合に、医療保険で作れるんです。でも、まだ日本にはそういった制度がないんです。義肢装具士には国家資格があって、彼らは直接患者さんの体の型が取れるので、その人が足にも触って足型を取るんですよ。 そもそも20年くらい前には義肢装具士が足の型を取って、自前で装具みたいな靴を作っていたんです。黒で、重たい、マジックテープで開閉するような、そんな靴をね。ところがヨーロッパでは、ドイツ、オランダ、スイス、オーストリアあたりで、古くから足に合わせた靴を作るという文化があって、整形靴技術者というマイスターの資格があるんです。なので、整形靴技術者が足の型を取って靴を作ります。 25年ほど前にオーストリアの整形靴技術者が日本に来て、「日本の整形靴はなんだ!装具であって靴じゃないじゃないか!」と衝撃を受け、なんとか日本にもヨーロッパの整形靴の文化を創っていきたいと考えたんです。それに、三田の学校も共鳴して、日本で唯一の整形靴科ができたんです。だいたい一学年30人くらいで、2年間勉強します。

  • エドワルド・ヘルプスト氏との出会い

     僕が学校に入学した時、そのオーストリアのマイスターであるエドワルド・ヘルプスト氏が週に2回教えに来ていたんです。彼の影響は大きかったですね。教えてもらえたこと、一緒に仕事ができたことはラッキーなことだったと思います。ヨーロッパでは15歳になると進学、就職、職人への3つの道を選ぶそうです。職人を目指す子は、3年間丁稚奉公のようにして働きながら週に1回専門学校に通い、卒業してやっと職人として認められるようになります。それからまた3年ほど修行して、やっとマイスターの資格を取ることができるようになるんです。試験に合格すればマイスターとして独立したり、職人を雇ったりできるようになるんです。この業界でこうして独立してやっていけるのも、彼に出会えたからだと思っています。


  • 理想の家族像

     学校を卒業したからといって、すぐに製品としてのクオリティーが高い靴が作れるわけではないんです。基礎の基礎を学んですぐなので、その後の修行が必要です。なので、卒業後は3年間、京都の義肢装具会社の現場で勤めたんです。「製作する人が、足を見て作らんとでけへんやろ…」っていう思いを持ちながら。
     そこで働き始めて、1年経った頃に結婚しました。そしたら、しばらくして赤ちゃんを授かったんです。奥さん「出産したら行くわ〜」って言ってくれていましたが、仕事の都合もあって彼女は出産後も多可町の実家で暮らしていました。その間に、必然的に僕が多可町の八千代に来る機会が増えたのですが、それが僕と多可町の出会いです。産後3ヶ月後ぐらいに奥さんが子どもと一緒に京都に来て一緒に暮らすことができましたが、離れて過ごしている間に、「これが自分の思い描いていた生活なのかな…」って思いました。やっぱり、家族と一緒にいる時間を大切にしたいじゃないですか。自分の理想の家族像を考えたらここじゃないなと思い至って、2人とも平屋に住みたいという希望や、自然が豊かな場所で子どもを育てたいという意見は共通していたので、奥さんの地元に帰ろうって決心したんです。
     地元から通える範囲の義肢装具会社に片っ端から電話して、三木市の会社に就職することができました。そこで2年ほど働いた頃、母校が教員を探しているということで、僕が手を挙げてその後5年間は教員一本で靴作りを教えていました。現場に5年いたので、ある程度は靴を作れる、というか結構出来る方なので(笑)。教育をやっているのは楽しいです。若い生徒を見ると、これからのキャリアがあって羨ましいなと思うけれど、お客さんとの信頼関係や安心感を考えると、自分はうまい年代でうまいことこの道に入ったな〜と思います。一昨年くらいから独立に向けてだんだん準備も始めないといけないということで、教員の仕事は週に3日に減らしましたけど、今も教えています。
     僕が育った環境は裏山があって、自然と触れ合うことのできるところでした。子どもにもそんな環境で育って欲しかったんです。それに、僕も奥さんもビルトインガレージ付きの平屋に住みたいという思いがあったので、八千代区で土地を手に入れて今の家を建てました。今は、望み通りの家で暮らすことができて幸せです。裏山があって、自分たちの好きなテイストに囲まれて暮らしていますから。結果、多可町で良かったなと思っています。田舎で靴屋なんて出来るの?とも言われたこともありますが、この仕事は街でしようが田舎でしようが変わらないんです。興味を持った人しか来ないから。どこに店があってもやっていけると思います。社会経験があったからこその選択ですね。大変ですけど。


  • 靴職人としての独立

     今は、整形靴を作る技術を使って一般の方に靴を作るという仕事をしていますが、引き続き三田の学校で教員としても働いています。先ほども言いましたけど、日本では医療の現場ではまだ整形靴製作者が直接患者さんとコミュニケーションをしたり、足の型を取ったり出来ないんです。だから、僕は独立するという道を選びました。一般の方が100%健康な足かといえばそうでもないのが現状なので、間口を広げていろんな方の足に合った、それぞれの好みに合ったデザインの靴を作ろうと思ったんです。
     義肢装具会社に勤めている時から手応えは感じていたし、三田の学校で教えようと思ったのももう一度学び直しができるし、教えるってことは100%理解していないとできないことだから、自分の身にもなると思って勤めています。学校で教えるのも楽しくてやめられないんです。生徒はそれぞれいろんな思いを持って入ってくるので、僕と同様、個性が強いですよ。すごく楽しい。

  • こだわりの靴作り

     近所の方で、足が変形していて靴に困ってる方がいたんですよ。その方のことがずっと気になっていて、あの人の靴なんとかしてあげたいな~って思ってたんです。そしたらある時、僕がたかテレビで紹介されたことがあって、小学校の運動会の時に「靴作ってる方ですよね。ちょっと足見てくれへん?」と声をかけて下さったんです。「僕も昔から見たかった!」って!病院では中敷きしか処方されていなかったようなので、歩くのがとてもつらそうでした。
     それで、彼女の靴に少し手を加えてあげたら、「見て~、1ヶ月経っても破れてへんねん!」って嬉しそうに言ってくださったんです。それまでは同じところが地面に擦れて、靴は1ヶ月しかもたなかったらしいんです。その時は嬉しかったですね。その方は旦那さんと温泉に行くのが楽しみだったそうなんですけど、足が痛くて行けなくなってたんですよ。それで、あーでもない、こーでもないって一緒に相談して、お風呂でも脱げないようにバンドをつけたり、滑らないように滑り止めをつけたりして中敷きを作りました。こんなふうに一人ひとりの足に合った靴作りをしたいので、既製品を作るつもりはないです。足を触れないと作れない。


  • 夢の形

     子どもとの時間、家族との時間を持てるということは僕の夢の形なんです。子どもも自然豊かな環境でのびのび育ってますし、僕ら夫婦だけじゃなくて、一緒に生活をしているおじいちゃん、おばあちゃんからの意見も聞けるし、知識も学べますからね。
     僕の好きなテイストに作り上げた店の中で、毎日作業ができる喜びも大きいです。僕は今、多可町の中でここが一番好きですもん。それに、歩くことで行動範囲が広がり、人生も広がるじゃないですか。その手助けができるのは嬉しいことです。
     まだまだ伝わってないけれど、整形靴によって足や膝などの変形は治せないにしても、痛みを無くしたり、変形の進行を遅らせることはできるんです。なので、せっかく敬老の日発祥のこの地に来たんだから、ちょっとでも歩いてもらえて、周りのお年寄りから喜ばれる靴を提供できたらなと思っています。
     靴によって人生が変わるかもしれないってことを発信できたら、靴職人としてこんなに嬉しいことはないです。