VOL. 2

橋本 憲一郎さん&橋本 悠喜子さん

地区:中区岸上

 多可町出身のご主人・憲一郎さんは、高校卒業後、一旦この町を離れて生活をしていましたが、2014年に神戸市から家族で多可町に戻ってこられました。
 憲一郎さんは蔵森造園を経営するかたわら、持続可能な生活を提唱する任意団体「パーマカルチャー関西」の代表も務めておられます。
 夫婦で西宮や多可町などでパーマカルチャーに関するワークショップやセミナーなども開催し、家族で自然の中で生きる生活を実践しておられます。(H28.11.28)

橋本 憲一郎さん(蔵森造園経営/パーマカルチャー関西代表)
橋本 悠喜子さん

パーマカルチャー関西

https://percul-k.jimdo.com

  • 多可町に生まれて

    憲一郎さん:僕は多可町で生まれて、高校までここで暮らしました。今の若い子たちもそうかもしれませんが、当時、僕には「都会」に対しての「田舎」という感覚があって、「中心」に対する「周辺」という感じを持っていたように思います。街はより新しくて自由で、開けてるように感じていました。自分の世界観がまだ狭く、行動範囲も限られてる中で、何か新しいものがあるんじゃないかという感覚だったんだと思います。
    荒野
    悠喜子さん:私は都市部で育ったので、そんなに都会に対する憧れみたいなものはなくて、逆に田舎暮らしに憧れていました。4歳の頃に1年だけアメリカのシリコンバレーに住んだことがあって、初めての幼稚園もアメリカでした。家の周りには緑がたくさんあって、幼稚園からよくセントラルパークに遠足に行きました。おやつは、にんじんとセロリのスティックです。両親もよくピクニックに連れて行ってくれましたし、その時に連れて行ってもらったヨセミテ公園の滝や小川に感動したり、自然の中で過ごす時間がとても楽しかったことがずっと心にありました。アメリカの開拓者が出てくる「大草原の小さな家」が好きで、家を建てたり、畑をしたり、保存食を作ったり、自分たちで暮らしを創っていくことに憧れがありました。


  • 自然の中で生きている実感

    憲一郎さん:僕は大学で国際文化を学んだのですが、もともと文化というものに興味があって、本で得た知識ですが、先住民(ネイティブアメリカンとかアイヌとか)の暮らし方、物の考え方、社会のシステム、一人一人が尊重されて、役割がある。今で言えば持続可能な形態であったそういう暮らし、精神に惹かれていました。旅が好きだった僕は、大学在籍中から、バイトをしてはアジアやアメリカ、北海道などを訪れていて、最終的にパーマカルチャーというものに繋がっていきました。
     北海道ってパイオニアというか、自分の暮らしを自分で作っていこうという人が結構多くて…。あるアイヌのお祭りで準備段階から関わることになったんです。そのお祭りはトイレやシャワー室などすべてが手作りで、会場にある廃材(釘も曲がったものを真っ直ぐに直して)を使って小屋を建てたんです。その時に僕にはそういう発想がないことに気がつきました。家は大工さんが建てる、料理はコックさんが作る、ものを教えるのは教師という決まり切った世界観の中で生きていたんですね。でも、自分の暮らしって自分で作っていくことが可能なんだと気づかされ、とても感動的でした。
     北海道を自転車で旅していて思ったのですが、そんなに重たいものを持てないじゃないですか。自分に本当に必要なものだけを積んで走るんです。すると車での移動とは見る風景、出会う人がガラッと変わって、自分の存在が大自然の中では弱くて小さなものなんだなと感じました。そのために自分を守るためには技術や知識を得ないと生きていけないんだということがすごくよくわかって、自分が生きているということに実感が持てるようになりました。
     北海道の旅ではいろんな人に影響を受けたんですけど、阿寒湖のアイヌの方のところにお世話になっていたときに、「お前は幹もヒョロいのに、枝葉のことばかり考えている。まず、根を張って幹を太くすることを考えろ」と言われました。そうすれば自然に枝葉が分かれていって、自然に実がなり人の役にも立てると。その言葉が印象に残っています。


  • パーマカルチャーという考え方

    憲一郎さん:パーマカルチャーとはパーマネント(永久的な)、アグリカルチャー(農耕)、カルチャー(文化)という言葉の集合体なんです。パーマカルチャーはデザインであるとよく言われていますが、どうすれば自分の暮らしとか、ひいては社会のシステムとか、そういうものを持続可能にできるかというデザイン形態のことなんです。僕たちのライフスタイルですね。
     パーマカルチャーには基本的な倫理というのがあって、「地球に対する配慮」「人々に対する配慮」「余剰物の共有」の3つです。パーマカルチャーのモデルは森で、エコシステム(生態系)のなかに観られる持続可能なデザインの要素を自分の環境に合った暮らしにどう応用していくかということなんです。連綿とつながってきた人々の暮らしをヒントにしながら、持続可能な暮らしを創ること…ネイティブアメリカンは7世代あとのことを考えて行動するとよく言われますが、自分の行為が自然とか他者にどういう影響を与えるかということを考えながら行動していくことが大切です。
     今は個人で造園業を営んでいますが、いつかパーマカルチャーを仕事にしたいとも思っています。講座だけでなくて造園の仕事も、パーマカルチャーの造園というカテゴリーを作りたいと思っています。

    悠喜子さん:私は、説明会に行ってパーマカルチャーという世界の中に自分のやりたいことがぎゅっと集まっていることに感動して、すぐにスクールに入学しました。主人と出会ったのはそのときです。
     パーマカルチャーに出会う前までは、ただ単に田舎暮らしがしたかったんですが、自分の暮らしが世界に繋がっていて、全体的に考えて暮らすことが持続可能に繋がるということを教えてもらったので、「先の世代まで」という視点が生まれたんだと思います。

    憲一郎さん:パーマカルチャーに「スパイラルガーデン」というのがあって、石で渦巻状に囲いを作って立体的な空間を。作るやり方があります。立体的になっているので平面に植物を植えるよりも植える面積が増えて、しかも日向と日陰の両方を作ることができるんです。上の方はしみ込んだ水が下に落ちて乾燥しますし、下の方は湿気ていて最後は池に繋がります。それぞれの植物に合った環境を作り出せるというわけです。また、石による蓄熱効果もあるので植物がとてもよく育つんですよ。こういった科学的な考えがベースになっているのが、パーマカルチャーの特徴です。

    悠喜子さん:そういう科学的で論理的なところも好きなんです。


  • 田舎での子育て

    憲一郎さん:子どもができて視点が大きく変わり、子どもを通して物事を考えるようになりました。今、学校で徐々に増えているものにエディブルスクールヤードというものがあります。学校で子どもたちが協力して、食べるものを育て調理をして一緒に食べるんですね。すると食の中に理科であったり国語であったり算数であったり社会などがあることがわかるんですが、一番大切なことはそれを通して「いのち」や「生きるということ」を学ぶということです。そういう教え方が増えてきてるんです。田舎の良さって、自分でものを作って、それが直接的に身体になったりっていう感覚を持てる機会がより多いっていうことだと思うんです。

    悠喜子さん:子どもができたことで、本当にパーマカルチャー的な暮らしをしなければと改めて思いました。一度、外に出てみるのはいいことだと思うんですよ。都市と田舎のどちらの良し悪しも知ることができると思います。その上で、帰ってきたいなと思う理由があったら循環するというか、都会の良いところを持って帰ってこれるということもあると思います。


  • 祖父母の背中

    憲一郎さん:僕が多可町に思い入れのある一番のポイントは、祖父母の存在だったように思います。おじいちゃん、おばあちゃんって、親とはまた違いますよね。僕は両親が共働きだったので、学校から帰ると、おじいちゃん、おばあちゃんがいて、戦中戦後を生き抜いてきた力強さ、あたたかさを彼らの背中に感じていたんです。娘にも、そんな育ち方をしてほしいと思っています。
    百姓ってお米を作るから百姓なんではなくて、身の回りのことを百個できるから百姓なんですよね。百姓としての生き方も田舎暮らしの一つの魅力だと思います。束縛されない自分の好きなところに根を下ろして暮らすことに憧れていたこともありましたが、僕の中には祖父母の存在が強くあって、いつかは帰ってきて、田んぼや家を引き継ぐんじゃないかという思いが心の奥にずっとありました。

    悠喜子さん:私もこっちにきて、「いつかはここに帰ってくる」と案外若い人たちの中にそういう思いがあるんだということを知ってちょっとびっくりしました。私の父は7人兄弟の末っ子で全然そういう考え方がなかったので。主人が「いつかはここに帰ってくる」といつも言っていたので、理由を聞くと「いや、なんとなく」と言われて、そんな大事なことなのになんとなくなんだと思っていたんですが、今の若い人たちも、小さい頃からそういう環境で育ってきて、同じように思っている人が結構いるんじゃないかな。


  • 豊かに生きるということ

    憲一郎さん:多可町を楽しい場所にしたいんです。そして、同じような価値観を持った人が増えたらもっと楽しいだろうと思います。例えば田んぼでの仕事ですが、実際に素足で土に触れると気持ちいいんですよね。そんなさりげないことが実はとても豊かなことだと思うんです。

    悠喜子さん:自然エネルギーというかエアコンとか使わなくても、夏涼しくて冬はあったかい家に住みたいと思っていました。なんか、ゆる~くコミュニティがあるというか、いろんな人と繋がれる場があるといいですよね。新しいもののよさも認めつつ、古いもののよさも見直す価値観というのも、浸透していったらいいなと思います。

    憲一郎さん:自分自身が一番そうなんですが、すべての人が自然とつながり、人とつながり、それらをひっくるめた自分自身とつながり、共に育み合うような社会になって欲しいんです。僕自身も若い頃すごく窮屈だったんですが、今は自分で命を絶ったり、子どもの虐待が絶えなかったり、孤独死だとかそういうものが多いじゃないですか。それを何か違う生き方、もっと自由に生きられるということを証明したいという思いがあります。純粋に楽しいんですよね。パーマカルチャーのワークショップをしていても、みなさん嬉しそうなんです。自分の手仕事とか自分の行為とかに包まれて生きるということは人生を豊かにしてくれます。
     若い頃は都会へ出れば「中心」に近づきより自由になれると思っていましたが、当時漠然と思っていた「中心」とは、経済的な中心のことだったんだと分かりました。つまり都会には発信者が多いということではないでしょうか。でも今は、どこにいても経済は自分で創っていけるものだと思いますし、自然と人に近い中で自分を発揮することが自分の「中心」に繋がり、それが実感ある経済や暮らしそのものを創っていく基礎になるのだと思っています。 そういった生活を多可町では実現できるのではないかと思っています。