VOL. 5
太田 亨さん
地区:中区門前
お母様の実家である中区門前に移り住み、株式会社太田工務店を経営しておられる太田さん。古民家再生と地域再生の先駆的なモデルケースでもある篠山市の「集落丸山」を始め、数多くの古民家に新たな息吹を吹き込む取り組みに参加してこられました。
また、伝統工法を次世代の職人に伝えることを目的として立ち上げた職人集団「若匠(じゃくしょう)」と、多可町を拠点に活動をしている北はりまチェーンソーアートクラブの代表としても活躍し、木に関わる様々な取り組みに関わっておられます。
大工という仕事に対する思い、古民家再生に携わるようになってから感じていること、そして、多可町産ヒノキに寄せる大きな夢について語っていただきました。(H29.02.09)
太田 亨さん(太田工務店株式会社 代表取締役/職人集団「若匠」代表)
太田工務店株式会社
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大工になりたい!
中学生のときから、ずっと大工になるのが夢だったんです。どうしてそう思い始めたのかは自分でも分からないんですが、子供の頃からずっと「絶対大工になろう!」って決めていました。叔父が建具屋さんだったのですが、「手に職をつけて職人になりなさい」とよく言われていましたので影響があったのかもしれないですね。
親には中学を出たら働きたいと言っていたんですが、高校ぐらいは行った方が良いと言われて行くことにしたんですけど、やっぱり大工になりたいという思いが強くて、高校を中退して大工になる道を選んだんです。
小中学校は神戸市灘区に住んでいたんですが、大工になるんだったら母の田舎である多可町で…というイメージをずっと持っていたので、本格的に大工の仕事をするんだったら、こっちで技法を習おうと思って多可町で修行を始めました。最初に勤めた工務店が伝統工法を中心に施工しているところでしたので、そこでいろんな技法を学ばせてもらいました。
大工の見習い時代は、掃除とか親方の世話とか、のみや鉋とかの刃物の研ぎ方などを仕事が終わってから見よう見まねでやっていて、そこでは16歳から8年くらい勤めましたね。その間、阪神淡路大震災の後だったこともあって、人手が足りないので手伝って欲しいって言われて、19歳の頃に1年ほどは神戸にいたことがあるんですが、その頃に妻と出会いました。娘が二人いるんですけど、まぁ、僕の仕事は継がないでしょうね。将来、旦那になる人が同じ職人だったらおもしろいんですけど。
建築の「洗い屋さん」っていうのがあるんですけど、神戸にいた頃は汚れた木を洗って綺麗にしたり、ビルの窓の清掃とか外壁のタイル洗いとか、そういったことをする会社に勤めていたんですが、やっぱり大工になりたいと思い直して、20歳のときに多可町の門前に帰って来ました。その時は、祖母の家に離れがあったのでそこを借りて住んでいたんですが、自分が住む家はいずれ自分で建てようと思っていたので、23歳のときに今の家を建てました。あれから随分経つんですが、まだ完成してないんですけどね。
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古民家再生に携わって
当時、「丹波組」というボランティアで古民家とかを直していく団体があったのですが、僕が古民家に関わることになったのはそれに参加したのがきっかけです。それが10年前くらい前かな…。その後、篠山で古民家改修の講師をボランティアで始めました。
その頃、篠山では古民家を保存していきたいという流れがあって、当時は限界集落だった地域を集落の皆さんと協力しながら再生させていく「集落丸山」のような取り組みが出来始めていたので、僕もそのエリアの古民家再生に携わりました。当時、僕が勤めていたところが古民家改修に熱心な工務店だったということもあって、まだ僕は若かったので、「おまえ、ちょっと丸山の改修に行って来い」みたいな感じで仕事を振られたのを覚えています。その当時は丸山の古民家はホントにボロボロでしたから、一大工として関わっていて、本当にこの取り組みが成功するんだろうかと半信半疑でした…。
僕は子どもの頃から多可町には縁があったんですけど、妻も移住することには何も抵抗がなかったようです。こっちに来てから、太田工務店として創業することになりました。今、39歳なのでここに移り住んで来てからもう19年経ってますけど、多可町はその当時とあまり変わっていません。古民家はもっといっぱいありましたけど、基本的なのどかな風景はほとんど変わっていないように思います。そういうところが、とても好きなんですけどね。
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職人集団「若匠」
僕が代表を務めている「若匠」というのは伝統工法を学んでいる若い職人の団体なのですが、「集落丸山」の改修がきっかけで立ち上げました。そこでも、僕が若い職人に向けて講習会をしています。僕以外は若いやつが多いんで、弱小者の「弱小」と若い「匠」をかけ合わせて「若匠」です。大工の職人もだんだん減っていく一方なので、若い人材を育てることがとても重要なんです。大工の仕事は厳しいのでなかなか難しいところもあるのですが、誰かが育てないと古民家を直してほしいっていう要望があっても誰も触れなくなってしまいますから、誰かがやらないと…と思ってやり始めました。
古民家の改修は、伝統工法を知っていないとできないんですよ。家をジャッキアップして持ち上げて、その下に木を履かせたりしますし、ガチッと噛み込むように木組みをしたりしないといけないので、今の工法よりもずっと手間がかかります。それに、経験を積んでいないと持ち上げた途端に家が潰れたりするので、ちゃんと建物の構造を知っているかどうかが大きな鍵なんです。なので、ジャッキアップは太田工務店でも僕だけしかやりません。若い職人は、怖がってなかなかやりたがらないんですけど、そういった技法を今度は僕が彼らに教えていかないといけないと思っています。
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多可町産ヒノキをブランドに
多可町は、山田錦発祥とか杉原紙の産地で知られていますが、実はヒノキの町なんです。杉が植わっている地域は別に珍しくもないですが、ヒノキが多いところは実はとても珍しいんです。なので、多可町の良さを知っていただくためにも、これからどんどんそれを活用していきたいと考えています。このヒノキのことに関わりだしてから多可町全体の人と関わるようになって、改めてこの町を見つめ直すきっかけになりました。これだけ地域の人がヒノキのことに関わって仕事をしているので、多可町産ヒノキを売り出していくことが、この町の魅力を知ってもらうことに繋がるんじゃないかと思うようになったんです。北はりまチェーンソーアートクラブの取り組みも、その一環なんです。
今までいろんな材木を使ってきましたが、使いやすい木、使いにくい木というのが実際あります。使いにくいっていうのはそれなりに理由があって、自然な形で乾燥させていない木や材木を使う地域に合っていないやり方で乾燥した木は、後から割れたり曲がったりしてくるんですよね。それならば使いやすい木にすれば良いんじゃないかと思って、太田工務店専用の乾燥庫を作りました。ちょうど良い状態に乾燥させた多可町産のヒノキをひとつのブランドに出来たらと考えているんです。うまく乾燥できたら、虫が来ないし割れにくいし、多可町産のヒノキはいいですよと言えるじゃないですか。
多可町のヒノキがどんどん出るようになれば、山に人が入って伐採するので山が強くなる。山が強くなると災害が減る。そして、製材所も増えて起業や雇用に繋がります。山が綺麗になったら川も綺麗になる。雨が降ったらそれが山に染み込んで湧き水が出て、その川が綺麗になったら、プランクトンなどが海に流れるので良いものが育つ…というサイクルに持っていきたいと考えています。
多可町産のヒノキは柱に最適と言われているんですが、その理由は多可町の地形にあるんです。多可町は谷の間に木が植わっているので、陽の当たりが少ないんですよ。そうやって育つと、根がぎゅっと凝縮されたいい木になっていく。そうすると、100年経っても木がへたらない。だから柱に最適なんです。
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多可町での古民家再生活動
これまで僕は、多可町以外の場所で古民家の再生を手がけてきたんですが、あるとき、改めて自分が住んでいる地域に目を向けてみると、魅力的な古民家や、かつて播州織の工場として使われていたのこぎり屋根などの建物がたくさん遺されていることに気が付いたんです。せっかく自分がこの地に住んでいるのに地元の古民家を活かさない手は無いと思って、2017年の3月に地元の仲間と一緒に「紡 ―TSUMUGI―」という古民家再生と創業支援を行なう団体を立ち上げました。
多可町には、昔ながらの茅葺きの家がたくさん残されているんですけど、残念ながら人口の減少と共に空き家がどんどん増えていて、そうした空き家をボランティアの力を借りて再生しつつ、おくどさんでご飯を炊いたり、田舎料理を地元のおばあちゃんに教えてもらったりしながら、多可町の良さを町内外に方に知ってもらうのが目的です。
最終的には、もう潰すしか方法がないと思われていた古民家に、新しい住民が来てくれたりお店として使ってもらえたら良いなと思って取り組んでいます。
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門前が大好き!
太田工務店と自宅は中区の門前というところにあるんですけど、ここでの生活がとても心地よいんです。目の前が開けていて背後に山があるでしょ。これが良いんですよ。
最近、門前の集落の中で、子どもたちのために有志でアマゴ掴みなどのイベントをやっているんです。そうすれば地域の子どもの顔も覚えられるし親同士も仲良くなれるので、「あの子どこの子?」なんていうこともなくなりますよね。地域全体で子どもを育てるというか、守ることができるでしょ。門前では集落全体で田んぼの土手に水仙を植えているのですが、こういうコミュニティを作ることができる多可町っていう町、特にこの門前が大好きなんです。
門前にもたくさん古民家が残っていますが、こういった建物を見ると、今まで頑張って人の生活を守ってきたんだな…と思って、とても愛おしく感じるんです。
そういうことを感じながら、好きな仕事ができているのって幸せですよね。大工と木は切っても切れない関係ですし、しかも多可町は僕が好きなヒノキの産地ですので、僕が多可町に越して来て工務店を始めることはとても自然なことだったんですよ。なので、これからも多可町から出て行くのは考えられませんね。